武術各論/目次

日本古傳剣術の實相

古武道から秘伝、秘技、奥義技等が失われた原因について

維新以降の古武道が欠落してしまった奥傳、祕傳の部分の実際について

「武禪道」とは1 概論
「武禪道」とは2 具体論

日本古傳剣術の實相


「天狗傳剣法」とは
「天狗傳剣法」は当サイトが日本古傳武道の本質解析の立場において掲げる看板ワードの一つでありますが、一般共通単語ではなく、また武術界においての普通用語でもありません。よって先ずはこの部分の説明解説をなしておく事とします。
さて、管理人自身においても勿論日本武術の究極的最終形態として「流儀武術」の立場に立つものです。故に剣術指南においても、「〇〇流剣術指南」との看板を上げてもよいのですが、剣術、居合においても幾つかの流儀を継承している関係もあり、また現代の日本において古武道として捉えられる一般的な古流剣術や各流居合道等とは実体的にはかなり異質な特殊な内容を含んでいるので一般には「日本古傳極意剣術」として開示、紹介している形をとっています。
そして実際流儀剣術の学びに入る基礎として最初に伝授するのはこの「古傳剣術(天狗傳剣法)」の部分からとなっています(これこそが真正の古流武術における本来の教伝法であると管理人は捉える)。この部分は現在日本で殆ど絶滅した剣術の本当に古傳の部分であり、この部分を部分的にでも継承している古流剣術は極めて僅少になってしまっていると観察します。
当会の継承する「流儀剣術」の解説の前にこの部分の説明をなします。この部分が理解できないと日本の古傳武術の本質、その深い部分が何もわからなくなると思われるからであります。

名称
さて先ずは名称ですが、「古傳剣術」「日本古傳極意剣法」「日本古傳剣術」等の俗名が先ずありますが、或いは「天狗傳剣法」とも言い、そして管理人の系脈では「一八十神剣(いわとしんけん)」等とも呼び習わしており、これは伝書等にその様に記載するところの、当会としての一つの正式名称であります(ただこれは管理人が継承する系脈での特殊固有名称となりますので、理解のためにも一般解説文においては概ねは俗称的な文字遣いをなしています。伝書には比較的長い正称[十一文字]の記載があるが、これは伝書の究極にして秘伝的正称で、これは流儀の秘儀の部分に当たるので、その掲示と解説は省略)。
ともあれ、系脈による独自の名称付けは別問題として、この部分の名称は各流儀でそれぞれ独自の名称が種々あったと考えられます。またその内容も各流儀において同一というわけでは必ずしもなく、各流の工夫と体系化があったと考えられるのです(この部分は各古流剣術の内部の部分なので外部からの観察から確定的な捉え方をする事は出来ません)。
何れにしろこれらの部分は「古流剣術」と別に存在していたわけではなく、本来的には古流剣術の奥にかつては概ね存在していたものです。ただ「奥に」と言っても奥伝として存在したという事ではありません。古傳形教傳を主体とする各流剣術と並行して稽古されたスキルを磨く為の技術稽古法でもあり、かつては殆どの流儀において二重構造的に存在していたと考えられるものなのであります(でなければ各流儀が武術として機能する事はかなり難しい)。
ただ、古式の稽古法というような浅薄なものではなく、ちゃんとした教傳体系を備えており、ある意味是れだけでも一個の「剣術」として機能出来る、ちゃんとした武道となっています。

【では何故、日本剣術は次の段階として「流儀剣術」と言う特殊なステージの武術文化を醸成したか、その意味合い等については後述したいと思います。】

「天狗傳剣法」の名称について
やや独特の言い回しですが、「天狗傳剣法」との名称付けは関西系古流剣術の深いところで口伝された古傳神話を典拠としたものです。即ち日本剣術の太祖、源義経は京師鞍馬の山奥で修験道山伏武芸者から神代から伝承する日本固有の古式剣法を学んだという伝説であり、それが日本剣法の源脈となったと言われます。
伝説では源義経の大成した古傳武芸、古式剣術が「京八流」として分かれ、後の流儀剣術の根幹となったとされます。これは都(京)での話ですが、それとは別に東国にも鹿島香取を代表とする所の神道流系の剣術傳脈があったともいわれます。しかしながらこの関東系剣術傳脈の根源も史料調査によれば義経系の京都剣術諸流と同根である事がほぼ判明しています。
と言う事になりますと、やはり日本剣術の根幹は神代より伝来し、皇室を中心に継承された古式刀剣術であると言う事であります。
帝や皇室を守護する僧兵や修験行者たちを通じて都周辺にて継承、発達し、それが次第に全国的に広まったと言う立場に立てば、日本剣術の全ての根幹は「天狗傳剣法」にあり、源義経はその大成者の一人と考える事が出来るかと思います。伝説的には修験者や仏教系の僧兵などが武術の宗主として伝えた神代武芸を武家の根幹技能として移転し、武家剣術として大成した代表的象徴として源義経があったと言う事であります。
実際各剣術流儀の最終秘伝巻の最後には烏天狗等に剣術極意を学ぶ図等が描かれている例が多くあり、これは正に日本傳古流剣術における根源記憶の一端であると考える事が出来るかと思います。
源義経(当時牛若丸を名乗る)に実際に剣術指南をなしたのは一説には鬼一法眼ともいわれますが、流儀秘伝書には別名称が記載される例も多々あります。いずれにしろ牛若丸が学んだのは修験の行者たちが伝えていた当時の古傳剣法と思われるのであり、これが後のに流儀剣術という新たな剣術形体系が醸成してゆく折に、その基盤的な役割を果たしました。

古代剣法
平安末期の時期、山中山伏が伝えていた「古傳剣法」という事になりすと、その実態は? という事になります。時は何しろ十二世紀中頃の話であり、勿論流儀剣術は未だ醸成しておらず、武術伝書等の文化が未だ殆どなかった頃の話であります。しかし日本という国は武威を持って、諸国を平らげ、平定、統一して出来た国家であり、神代、古代から武芸王国であった事は事実であります。刀剣製造の歴史も永く、神話時代からも各種スタイルの刀剣、そして数多の名工が出で、無数の名刀名剣類が現れ、そして刀剣を以て戦った描写等も多数登場します。即ち神代から勿論固有の武芸、刀剣術が存在した事は間違いないわけであます。
しかし神代や古代における武術の本質を記した文献は余り現存しておらず、当時の技術実態は曖昧模糊としているというのが事実です。そして実際のところ神代、古代の刀剣自体は未だ原始的スタイルを脱しないものでありました。
しかしながら十二世紀という時期は既に古代刀剣武器類を超脱したところの一つの究極的極意刀剣、即ち「日本刀」のスタイルがほぼ完成されていました。というよりこの時期の刀剣は後世では作り得ない超絶的な名刀が実際に作成されていた時代でもありました。
よってこの時期の古式剣法は後世における「流儀剣術」の正に基盤となった高度にして共通する技術伝を保有していたものであったと考えられるのであります。
この時代の古式剣法を管理人の流統では「天狗傳剣法」として捉えてているわけであります。

「天狗傳剣法」の教傳体系と技術内容
中世以前の日本剣術技法、その体系についは、未だ武術伝書等の発明されていない時代であり、多くは體傳口傳にて手継ぎされ、その実態を明らめる事はかなり困難であります。
江戸期の流儀剣術に付随して伝えられたそれらの傳も系脈によって様々な形態と体系を保有していたと思われるますが、管理人の系脈で伝える「天狗傳剣法(正称省略)」は、実際かなり大きな体系をもっています。
技術内容を概略的に解説すると、
基本剣法として、「十文字之剣」「八文字之剣」「一文字之剣」の三大技法を基盤とし、それぞれかなりの手数があります。
教傳体系は「表」「裏」「奥」「變化太刀」「魔傳太刀」「神傳太刀」と言う風に伝えられていますが、これは「一刀剣」の目録体系のみの部分であります。そしてそこから、「二刀剣」「小太刀」「居相」「柄遣」「鞘遣」「秘傳太刀」「野太刀」「甲冑太刀」「槍合」「薙刀合」……と言う風に伝えられるもので、かなり膨大な体系となっています。

「天狗傳剣法」と「流儀剣術」
「天狗傳剣法」と「流儀剣術」との関係は各流において中々微妙な関連であり、流々様々な形態と有り様をとっていたと考えられ、一元的に分類する事は困難であります。
ただここで注意しなければならないのは、確かに「天狗傳剣法」を技術基盤として「流儀剣術」と言う至高の剣術体系が醸成したわけであるが、しかしながら、「天狗傳剣法」が昇華して「流儀剣術」に発達したと言う事では必ずしもないと言う事であります。
実の所「天狗傳剣法」と「流儀剣術」では技術内容をかなりの部分で共通しながらも稽古と伝承スタイルが異質であり、別次元世界とも言うべきそれぞれの剣法文化である事を理解しなければなりません。
管理人としては実際に学んだ地元流儀の捉え方、立場においての解説となる事にはご注意ください。別の剣術流儀においては「天狗傳剣法」の部分をまた別の形で昇華して伝える例もあったかも知れません。また江戸中期以降に工夫された竹刀防具打ち合い稽古法の技術傳として再編成され、多く転用された流儀もあった様に思います。

「古武道」とは新興の「最新武術」
ともあれ管理人が学んだ地元流儀の立場と解釈にて解説を続けます。
管理人おもえらく、戦国期以降に形成された古典形演武法式の「流儀武術」とは、人類武術文化における究極的発達であり、至高の到達点であったという事であります。しかしながら、その真の意味も含めてその存在は比較的新しい理念とスタイルであった事も事実である。即ち「古武道」とは「古い武道」の意味合いと規定したとしても、考えてみればそれほどは古くない。古いといってもせいぜい最古の流儀でも四百年強、幕末に開かれた流儀ならば百五十年程の歴史しかないともいえるのです。
しかしながらその各流儀の奥にあるのは神代、古代より伝来した古式剣術技法、そして古傳にして無数なる剣術秘傳、魔剣妖剣群であり、この部分は本当に古い伝統があります。日本の神代、日本国を武威を以て開闢していった武神達が編み出した奥傳秘剣群を継承しているのは正にここの部分であったのです。そしてこの部分は流儀武術の奥の奥、もしくは別次元のステージに存在したもので、流儀武術における形演武法とは違った形態の特殊な古傳の剣法文化でありました。ここの部分までを伝承する古師範が殆どいなくなり、現在の日本武道でも失われているので、現代における長い武道修行者といえどもイメージが難しく、また管理人も説明法に苦慮しています。……が、ここの部分こそが日本武術の本質を理解する為の極めて重要な部分であり、極意、奥秘の部分である。旧い掟を乗り越えて出来る範囲において何とか解説を続けましょう。

流儀武術とは異質な内容
「天狗傳剣法」と「流儀剣術」では形態次元が違う事を述べました。その違った次元の二種の武芸文化を巧みに纏めてて継承されているのが真正の日本古傳剣法といえます。
此処の部分は各流様々な形態と方法論で伝承されていたと考えられるのですが、管理人の武術道脈における立場にて「天狗傳剣法」の特質を解説してゆきます。
両者の違いを抜き出してみましょう。
@形演武法式ではない独特の稽古法
厳密な形演武法式の稽古法は(一説では)流儀武術から形成されたと思われますが、「天狗傳剣法」は形演武法式は余り採用せず、その基盤となるのは独特の技法練磨法式となります。残念ながら現代武道には殆ど採用されていない特殊な稽古法となっていますが、一つには独特の「寸流(すんながし)」という方法をとるもので、また足遣いや座法にも段階的な独自の技術を採用しており、技のスキルを磨き、また身體を練磨調整する大変に深い身體極意文化に昇華されています。これは日本人が生み出した独特の伝統的身体保養調節術、古傳の強健法といえるかもしれません。
そしてまた特殊な防具類を用いる秘伝練磨法等も伝承されていますが、ここの部分を継承する古流武術は現在殆ど残っていないのが現状かと思います。
管理人が伝える系脈の實相と法式にて解説していますが、ただ日本の本来の古代剣法が全く形演武法式を採用していなかったとは断言できず、独演形、あるいは組太刀形等の稽古法式はある程度は確立されていた可能性はかなりあると思います。ただこれらの部分は後代に完成された流儀剣術の古典形の中に吸収されたのではないかと推察されるのです。
実際例としては「薩摩示現流」や「陰流」諸派で施行される「エンピ」形こそは天狗傳剣法の代表的根幹古典形であったかと考えられるのです。そしてそういった古典形の部分は流儀剣術形の中に吸収されたと観察できます。
かくした形演武法と、そして江戸中期以降に発明、工夫された防具打ち込み稽古法以外の部分が「流儀武術」を超えたところの「古傳剣術(天狗傳剣法)」として残り、江戸期の古流剣術の中にては並行して存在、練磨されていたかと思われるのです。
医学医療の発達していない古代世界では日本人はこの様な身体古傳学、体育術傳を以て自己の身体の錬磨と調整、保養をなしていたのではないかと考えられます。その最終極意傳は後代の流儀剣術の形文化にも受け継がれていますが、膨大なる身体極意口伝とともにその錬磨の本体を保有するのは「天狗傳剣法」の方であり、実際その効能はかなり大きなものがあります。
A無限技法傳世界
「天狗傳剣法」は基本的には形演武法ではなく、技法傳の稽古であり、ここには無数の技法変化の法があり、無限、無数の技法数を内蔵したものとなっている。人間のやる稽古なので無限大という事は難しく、勿論ある程度の限界はあると思われるが、「天狗傳剣法」は、技数がとにかく多い事が特徴であります。
ここの部分のその一端を表す口伝ワードとして、「神道流」系では「砕き」と言う事がいわれます。琉球拳法では「手解き」という様な表現も残っています(柔術系では「流し稽古」「投げ込み」等ともいう。そして「手解き」は別の意味となる)。
天然理心流の奥傳導歌に、
「剣術はワザワザワザのワザのワザ あらゆるワザをし尽くせよワザ」というものあり、これは「天狗傳剣法」の部分を示唆した歌と思われます。本来的な天然理心流は此処の部分(天狗傳剣法の部位)までを本来はちゃんと継承していたと考えられるのです。
B発達する高度な技術
天狗傳剣法は「流儀武術」の基盤となった古い剣術技法という基本的立場はあるが、それと同時に形を超えた存在もであり、よって必ずしも「流儀剣術」よりも技術としてローレベルというわけでは必ずしもありません。逆に長年の練磨の中で様々な工夫が降り積もり、内容的には極めて高度な技術が集合した存在となっている。実際流儀によるがかなり巧妙かつ高度な技術傳が伝承していた様に推察できる。
C様々な剣法技術傳
古流剣術における組太刀形というものは、存外伝承本数も少なく、そして戦闘形態の多様性も余りないという不思議さがあり、よって実戦武術としては機能しがたいのではという捉え方があり、実際その様に捉える現代武道家、武道研究者等もいる様である。
実をいえばこの様な捉え方は現代式古武道の立場では半分は、ある程度正当な捉え方でもある様にも思われるのです。しかしながらこれは「天狗傳剣法」を併傳する事によって殆ど完全に補填できる問題なのである。逆に言えばこの「天狗傳剣法」の部分が欠落した流儀であると実戦剣術として機能しにくいと言える。実際伝統ある古流剣術と雖も、組太刀形としては「一刀剣組形」しか伝承していない流儀も結構あるのである。
対して「天狗傳剣法」の方が遥かに多様なものを含んでいます。
即ち、「一刀剣」に加え、「小太刀」「二刀剣」「居相」「柄遣」「鞘遣」「盾剣術」「奥傳必殺秘剣術」「多敵之位」「薙刀合」「槍合」等の多様なる様々な局面におけるそれぞれの術技を傳えている事が多く、それでないと実戦のおりに武術として余り機能しないと思います。
そして系脈によっては弓、鉄砲に対抗する技術伝までを傳えており、歴代の継承者たちの工夫と発明が纏められた独特の剣術文化体系となっている。
E即実践の技術
古流剣術における古典形というものは概ねは開祖の武術開眼における一種の極意表現であり、極めて芸術的に出来ている事が多い。これは日本剣術文化が到達した至高の剣法芸術の世界であり、本当に素晴らしく、正に世界に誇るべき至高の武道芸術文化である事は間違いない。しかしながらその極意は形そのもので表され、究極奥義、神意は不立文字としての表現となり、形の意味合いが理解が難しいものが多々ある事も事実である。となるとこれは実践武術の立場からは中々遣い難い事も多い。
対して「天狗傳剣法」は形ではなく、正に武術技法として伝承され、ずばり実践技術が具体的に表現され、実戦口伝もそれに付随し、よって実戦にも即座に対応できるものとなっている。
そして逆説的に指摘するならば「流儀剣術」における「極意芸術形」の奥意は「天狗傳剣法」を学ぶ事によって初めて理解できる様になる……と管理人は多くの局面でそう考える者である。偶然そうなると言うより日本傳剣術、「流儀剣術」と言うものは最初からその様に設計されていると言う風に捉える事が出来るかと思います。
逆に言えば流儀剣術の真意と極意に到達する為の「秘鍵」と言える存在であるがゆえに「天狗傳剣法」の部分が晦まされ、欠落した形で明治以降多く継承されていったと言う事が考えられます。
D神代から伝わる魔傳秘剣群を保存継承
天狗傳剣法の深い部分において、神代、古代から降り積もった厖大なる秘密魔傳剣法群が積集し、真に膨大にして不思議な剣術秘傳法群世界を形成しています。
戦国期から現れた流儀剣術の奥傳にも様々な秘伝剣術技法が伝承しているが、所詮は流儀の開祖が一代で新たに編み出した数種の秘剣にすぎない事は注意すべきです。本当の意味で古代より積集した厖大な奥傳秘剣群を伝承しているのは「天狗傳剣法」におけるここの部分なのです。ただここの部分まで内蔵して伝える古流剣術は現在日本にも殆ど残っていないというのが現状かと思います。纏まった形で傳を保存している老師範がわずかながら現存する事を管理人も認知していますが、残念ながらそれぞれ既に次代への継承は不能と思われ、失傳しているのと同等……つまり正に完全消滅しているのと実質的には同じ事であります。
実際のところ、現代においては、ここの部分は秘伝書の形で文書化(場合によっては絵図化)して残すしか方法論はないと考えます。
そして内容的には単に高度な技術と言うだけではなく、一面極めて危険な技術群でもあるので、公開的な文書として残す事は出来ず、正に特殊にして封印された形の『古傳剣法秘伝書』として私的秘密文献として残すという方法論をとるしか仕方がないと考えます
また文書、絵図のみならず、演武写真やもしくは演武動画で残す方法論も検討すべきと言う論もあるのですが、流儀の掟や品位、そして流出の危険性等の諸問題もあり、よって管理人の活動においては、講習会等における写真、動画等の撮影、保存は禁止しています。

★「天狗傳剣法」の全体像
大まかな意味、それも狭義の立場における「天狗傳剣法」の概略を述べましたが、同剣法の今少し深いところ、その實相を覗いてゆく事にしましょう。
「天狗傳剣法」の深い實相という事を探求した時、言葉、名称自体に広義の意味と狭義の意味があり、どちらで解釈するかを注意しなればならないのです。
そして実を言えば所謂「古流剣術」という言葉もしかりであり、同語にも「広義」「狭義」の両方の捉え方があります(もっと言えば各流毎の無限の捉え方があるが、この点を論ずるとまたややこしいので少し棚上げして論述を進めます)。
本来的な真正の「古流剣術」というものは、今解説している「天狗傳剣法」をも内蔵する極めて大きな文化と技法体系になっており、これが真の意味の「古流剣術」の實相であると言えるのです。
しかしながら現代における一般普通解釈は狭義の意味で遣われる事が多く、実際その様なイメージでしか認識されていないと思います。何とならば現代の所謂古武道としての剣術・居合流儀の概ねは古典形、それもその初伝の一部しか伝承していないという実体がある為と観察されます。

厖大なる剣術文化、技術傳を抱蔵する本来の「古流剣術」
しかしながら江戸期に行われた古流剣術の實相はもっと巨大な技術文化体系でありました。管理人が実際に学んだ地元流儀の立場でその内容を解説してみたいと思います。但し、今「古流剣術」の立場で説明していますが、これが総合武術系の流儀であるならばまた伝承範囲は幾層倍にも膨れ上がり、解説がより大変なので「古流剣術」という立場に限定して先ずは解説します。ちなみに管理人が地元で学んだ柔術流儀は(柔術を表看板にしながらも、その実体は)正に総合武術系の武芸流儀であり、色々な種目を伝承しており、大変厖大な体系となっています(この部分の解説はまた別空間にてなす事とします)。
ともあれ永い伝統を有する真正の「古流剣術」ならば概ね次の様な様々な技術文化を並列的に伝承している……本来はしてなければならないと考えます。各傳の解説をしてゆきましょう。

●本来の古流剣術が内蔵する教傳(江戸期における伝統剣術の本質の概略)
@天狗傳剣法(古傳剣法教傳)
武術剣法として基盤となる教傳であり、各流実戦法における本體ともいえる重要な技法傳。本来剣術錬磨の主體となる部分。但し古流剣術といえども此処の部分を欠損している事が殆どである。
A流儀独特の撃劍法
本来は各流独特のものが工夫され、本来剣術技法錬磨の本體となる部分であったが、多くの剣術流儀はこの部分を欠落、失傳し、現在では画一的な「近代剣道」を流儀とは別に学ぶスタイルが殆どとなっている。
B「組太刀形」
初傳から中傳、目録形、免許形、奥傳、極意、祕傳形までの全傳が古流剣術の核と言えるのであるが、本来的な古流剣術の全体像から言えば極一部である。
本数は剣術流儀により様々であるが、真に古典と言えるのは数十本から数百本位かと思われる。しかし中には五本のみという流儀もある。ただ古典形は五本でも「天狗傳剣法」「撃剣法」等を併傳する事によって実戦剣術として機能する事は可能である。
現代における古流剣術の多くは此処の部分(の極一部)のみの稽古が殆どである。そして奥傳以降の傳までを正しく伝える流儀は残念ながら極めて少ないのが現状であるだろう。
C天狗傳剣法の奥義「神代魔傳秘剣術」の世界
正に驚異の祕傳必殺剣法、妖刀魔劍の集合体であり、世界最高の刀剣術秘傳文化といえるがここの部分は極めて残念ながら終戦時を境に殆どの部分が消滅した。此処の部分までを伝えている剣術名人は日本武術界でも本当に数名のみになり、正に完全消滅寸前である。
D剣術精神文化「武禪道」の世界
維新以降、「武術」が「武道」となって精神性が失われ、また戦後はそれが「スポーツ」となり、ここの部分は殆ど完全に失われている。
本来は世界に類を見ない極めて特殊な武術精神文化であり、真の武術の神髄、最高秘密教傳を司るものであった(但し名称は各流様々であったと思われるが、管理人の系脈の用語にて解説しているのでご注意)。ここに至って始めて無限祕傳技法世界への扉を開く事が出来るのである。(「武禪道」の遠祖は達磨太子、元祖は上泉伊勢守、そして道統大成した中興之祖は三人いて、澤庵禅師・柳生十兵衛・荒木又右衛門とされる)
ここの部分は極めて重要な古流剣術そのものを支える要ともいえる秘文化であるので別空間を用意して後に紹介、解説したいと思う。
E武家式古傳礼法、所作教傳
古流剣術における形教傳と並行して勿論武家式の礼法、所作等が伝承されるはずではあるのだが、流儀独自の古式礼法まで伝える所は本当に僅少となり、そしてここの部分は明治以降の女子教育用の女礼法が替わって伝えられる事が殆どとなってしまっている。古式の武家作法、男礼法をちゃんと纏まった形で傳える流儀は現在殆ど残っていないと言うのが現状であると思う。また刀剣作法や和式服飾の武家礼法も概ねは極めて現代的な作法と変容しており、本当の古法を傳える流儀は現代においては皆無に近い。
実際現代武道、「柔道」「剣道」を代表とする現代武道が指導するのはとってつけた「女礼法」である。ところが、その影響であるのか、戦後の「合気道」「空手道」、そして「居合道」等の同様であるのは不審である。

F稽古道具作成法
古式の真正流儀においては概ね各流儀独特の稽古道具が存在し、その道具の作成法等も教傳内容の一つとなっている。稽古道具は流儀にもよるが多様なものを傳える流儀もあり、各流独特の形態の木刀が工夫された。それは木刀の太さや形、鍔や鞘、下緒等の工夫も含まれ多様なものがある。そして形演武や古式練磨法の為の竹刀や防具類も様々なものがある……いや、あった。残念ながら余り複雑で多様な稽古道具を用いる流儀は淘汰されたのか現在殆ど消失し、現存流儀も略式の稽古道具を用いて流儀の一部の形を現代的に伝習しているに過ぎないわけである。
管理人の継承する「天狗傳剣法」の場合、古傳的には山野にある自生の草木、枝木、蔦枝、棒切等の自然物での稽古も多くなされた様であるし、現在でもある程度その伝統を引き継いでいるが、加えて特別加工した稽古道具としては「半鞘木刀」「独特の籠手防具」「笠防具」「袋撓」「刃引刀」「甲冑」等を用いる。加工道具はそれぞれ割合特殊な造りとなっており、現代の武道具店等で製作依頼しても、入手はそれぞれかなり難しいかと思う。よって管理人の場合、多くは自作して稽古してきた。
G流儀秘伝書作成法
日本剣術流儀特有の巻物、秘伝書文化は明治以降急速に切り捨てられた部分である。大戦後は特に酷く、現存古流剣術においても墨守している道統は殆ど存在しないというが実態であるだろう。古流剣術の秘伝書文化と言っても各流独自の巻物、秘伝書が作成され、精密な彩色絵図までが満載された秘伝書等もかつては多数作成されてきた。流儀の継承にはそこまでの文化、即ち伝授巻作成技術までを継承しなければならないわけであるが、ここまでなされている流儀は現在皆無に近いかと思われる。

上記項目の内、現代の古流剣術・居合に引き継がれたのは極一部の傳に過ぎない。
先ずAの「撃剣法」即ち「竹刀打ち」の部分は画一化され「竹刀防具試合→剣道」と云うスタイルで、スポーツとして施行されている事。
そしてBの「組太刀形」部分が古武道「古流剣術」と云う形で伝習されているに過ぎないわけです。しかも組太刀形体系の全傳を傳える流儀は本当に僅少であり、実数としては数流儀に過ぎないと観察できます。これは「居合系流儀」は特にひどく、著名な居合道流儀といえど形体系の極一部を断片的に伝承している系脈が殆どである。
終戦時以降、七十余年を経て、膨大なる古典的剣法技術と、それに付随する尊き精神文化傳の殆ど全てが消失してしまったわけであり、そしてそれを実際に捨てたのは日本人自身であったと言う事を今一度明記する者であります。