武術各論/目次

日本古傳剣術の實相

古武道から秘伝、秘技、奥義技等が失われた原因について

維新以降の古武道が欠落してしまった奥傳、祕傳の部分の実際について

「武禪道」とは1 概論
「武禪道」とは2 具体論

維新以降の古武道が欠落してしまった奥傳、秘傳の部分の実際について


維新以降の流儀武術が残念ながら消失してしまった至高の奥傳、秘傳部分の実際について考察してみたい。
天狗傳武芸の部分はしばし置くとして、流儀武術目録体系における欠落であるが、それぞれの種目毎に分析してみたい。実際の流儀名を挙げて体系目録から傳の欠落を述べる事が分かりやすいが、余り生々しすぎるので少し控え多くの流儀を壟断した概略的説明をなす事とします。

@剣術系は
先ず各流儀独特の「竹刀打ち」傳が失われた。つまり流儀内で行われた防具竹刀式自由稽古法である。これは各流色々な方式やルール、稽古用技法等が編まれ、大きな技法傳文化となっていた事が資料に現れている。防具の形や材料、竹刀の種類なども様々であり、そもそも稽古目的も各流独特の思想と立場があったわけである。そもそも流儀によって打突点も様々である。脛を払う流儀は臑当ても必要であし、裏小手防具も使う流儀も存在した様である。
見聞の機会はないが、袈裟切りを基本とする流儀において面から肩にかけての打ち込みを受ける防具が工夫されていたといわれる。
また現代剣道とは違い、必ずも競技試合を目的としていないので、一部分的防具が色々工夫されていた様である。また競技といってもそれを技法錬磨の為のになすのであり、よってそれなりの限定的ルールを設ける流儀もあった。即ち打突点をより絞って術錬磨の為の競技法を考えたもので、これはやはり限定的な防具となる。
用いる竹刀においても江戸後期くらいまでは主に袋竹刀が用いられ、近代剣道式の竹刀は幕末におけるある一系の工夫である(大石進の発明とされるが、幕末は多くの流儀も類型
もの用いているので、他系においてても色々な工夫があったかと思われる。
撃剣用の技法については各流の工夫と整理があったかと思われるが、中でも北辰一刀流で制定された「剣道六十八手」が著名である。余り良質の資料に突き当たらないが、他の流儀でも色々な撃剣用技法の工夫と目録化がなされたのではないかと思われる。
次に失われたのは武家作法だろう。剣術教傳と言うものは剣術技法を学びながら、平行して武家の礼法や作法を習う事になるのは江戸期としては当然である。しかしながら時代が変わり、髷を結うのは職業力士のみとなり、城中作法の必要性は消滅し、維新以降は武家作法も変容……というよりその殆どがカットされ、女礼法がそれにとって替わった。
古式武家礼法を正しく伝承する系脈は皆無とはまでは考証できないが、極めて僅少となり、各流においても極めて分断的にして極小部分の伝承に過ぎなくなったかと思われる。
特に現代剣道、現代居合道等では皆無に近い。いや、女礼法に変容というより、現代において行われるそれは「女礼法」としても失格であると我は判定する。残念ながら日本伝統文化というものはそこまで荒廃し、歪みきっているという事を知らねばならない。

A柔術系では
古式柔術はその存在自体が現代では殆ど壊滅状態であり、剣術系よりもかなり悲惨な状態である。実際の所広い東京と雖もまともな古式の柔術稽古が行われている所は本当に皆無に近い状態である。
記録によれば、終戦後、ある程度の時期くらいまで(昭和三十年代……?)は道脈を保っていた柔術流儀が東京において、かなり、ある程度の流儀が現存していたが、此処半世紀の間に殆ど消失してしまっている。
考えてみれば、五、六十年前と言えば、水道も水洗トイレも未だ普及しておらず、国民の殆どが井戸を用い、薪と釜で飯を炊き、電話もテレビも殆どなかった時代である。
冷房は何とか扇風機まで、冷蔵庫は氷入れ冷凍式、暖房は炭練炭に加えて練炭が使用されていた。正に文化技術の変容は著しい……。しかしその様な中で古い儘が常に新しく、最強の格闘技術を誇る日本柔術のみが誰にも省みられる事なく、各師範の死亡と共に次々と消失していった……。
残っている類似のものは講道館柔道か現代合気道位だろう。類似……と言えば類似だが、実際的にはそれほど似てもいない。講道館式乱取り法と合気道の技の一部が古流武術の一部に類似しているのに過ぎないのだから。
流儀の本体、道脈の殆どを失い、辛うじて残っている古式柔術流儀も形の一部を何とか保存しているのみというのが現状である。
それでも全形体系を保存しているならば大したものであるが、それはやはり極一部の流儀……。ともあれ形以外に消失した奥傳部分の本質をみてみよう。
全てとは言えないが、柔術流儀の多くが保存してきた捕縛法の部分の多くが維新以降、忽ち失傳してしまった。
実際江戸期における司法制度と明治以降の警察組織のあり方が変容してしまったので致し方ないめんがあるが、これも大きな文化損失である。
歴史的な問題として何時の時期から日本の司法に西洋式の手鎖(手錠)的なものが利用される様になったかは不勉強で考証できないが、大正、昭和の初めくらいのまでは割合縄縛技術も司法の中で用いられてかと思われる。
ただ江戸期においては、正に司直、捕物に関わる者が実際必要上に応じて十手や捕手術、縄縛法を学んでいた状況とは違い、柔術流儀が一種の護身体術として民間にて普及してゆく中で不浄役人御用達の「縄縛法」は一種の忌諱事項となっていただろう。実際民間に留守して犯罪に用いられたりしたら、これは確かに問題である。
黒田藩における捕手系武術の多く伝えた清水師範も、生涯をかけて伝承に尽力しながら、遂に一達流縄縛法のみでは伝承を憚られた様である。
次に、縄縛術以上に完全カットされたのが各流柔術が奥傳として継承していた各種秘武器類である。これは本当に膨大な数の、かなり奇怪な武器とその術傳が各流に伝えられていたが、その殆ど全ては失傳し、今では各流に残る祕傳書類にその面影を留めるのみである。それでも何とか戦前までは、そのある程度の秘技が伝えられていた痕跡を史料によって窺う事ができるが、やはり終戦後はそれらも殆ど消失した。
ただ此処の部分は危険と言えば危険な部位ではあるが、一面極めて興味深い武術秘文化の世界であり、現代では逆に実際の祕傳書類を利用して復元してゆく傾向も一部にはある様である。
次に完全に消失したかと思われる秘技として、膨大なる「當身殺活術秘法」の部分がある。現代格闘系武術において、此処の部分は殆ど欠落した状態となっている。
それは現代格闘系武道の開祖たちが、此処の部分を殆ど学んでいない為……とも解釈できるが、内容的に鑑みても危険を孕んだ技術群であり、そもそも一般化できない極秘奥傳的な技術群であった事も事実である。
本来は変わって古流柔術が正統に継承、保存して置かねばならない部分であるが、残念ながら古武道界における現代の体たらくでは掛かる極意奥傳世界をまと纏まった形態で保存する事は殆ど不可能である。
琉球拳法系において、日本柔術系とは一風違うかなり独特の「當身殺活祕傳法」が存在しが、残念ながら現代「空手」には殆ど受け継がれていないと観察される(琉球拳法の秘密系脈でどれだけの傳が現存しているかは、これは誰も測る事はできない)。
伝統的格闘体術、即ち「古流柔術」「古式相撲」「琉球古傳拳法」等の技術傳の系を受けて現代格闘武道が存在するわけあるが、伝統的な格闘技術傳の中で、最も完全に消失してしまったのはこの「當身殺活祕傳」の部分だろう。これは世界の格闘術文化の中も極めて独特の世界を日本柔術のみが開いたもので、打撃技術における最高秘法とも言える部分であるが、残念ながら大きな欠落が生じてしまっている。これは護身法としても、捕手法としても現代格闘武道は不完全であるといわざるを得ない。
次の消失部分は古式「組討法」である。此処の部分も殆ど完全に消失しており、特に古式の関西系の「組討寝業法」を実際に学んだ者は殆どいなくなってしまっているというが現状である。辛うじて「高専柔道」或いは「ブラジリアン柔術」系に同系脈の技術傳があるが、純粋な古流柔術傳の「組討法」はほぼ完全消失というのが現状である。