武術各論/目次

日本古傳剣術の實相

古武道から秘伝、秘技、奥義技等が失われた原因について

維新以降の古武道が欠落してしまった奥傳、祕傳の部分の実際について

「武禪道」とは1 概論
「武禪道」とは2 具体論

古武道から秘伝、秘技、奥義技等が失われた原因について


現代における一般的な古武道というものは確かに奇怪である。本来伝統武術の奥義として伝承される筈の秘伝秘技、極意奥義技といった部分がすっかり欠落してしてしまっているという事。
実際に管理人が学んでみてもっとも驚かされたのはここの部分である。
実をいえば日本武道(現代武道、現代式古武道)の現代におけるこの様な状態は凸国系の武道にすら遥かに及ばない(と我は考える)。日本の真正なるかつての古典流儀武芸には流石に及ばないとしても凸国の伝統ある武術であるならば、それぞれ真に奥深い高度な極意業が多く考案され、纏まった形で伝承されているはずであり、また各技術傳にても口傳秘訣の教えは無数であり、それは現在でも割合ちゃんと伝承されている……。
我は凸国武道を実際に学んだ事は内が、この様な考察は凸国伝統武道については書籍や映像等を情報源として、認識、理解したものである。
そしてその中でもいくつかの国の伝統武術における深さと精妙さは現代武道を遥かに超えていると判定する。そして我としては、かくした凸国伝統武術にこそ、寧ろ滅びてしまった日本古典武道と共通する部分をかなり多く感じるわけである。
何故に日本武道はこの様な奥のない薄っぺらなものとなってしまったのだろうか? これは日本古伝武術そのものが現代日本においてほぼ完全に壊滅したと言う事実。その因由とは少し理由を異とする様に思われる。この点を少し考察しておきたい。
日本武道であるならば本来無数に保有すべきである無数の秘伝秘技を現代の武道は何故に殆ど完全に欠落してしまっているのか? 
実際の所、これには色々な原因があると思われるが、挙げて行こう。

@奥傳口傳、極意技の部分は古武道において保存した(しようとした)。
最初の大きな原因として考えられるのはやはりこれだろう。明治以降の武術修行と言うものは武道の最初の入門としては体を練る為にも競技武道(竹刀剣道・乱取、組討)等を学び、その上で流儀の古典技を学んでゆくと言う形が多く取られた。武徳会が出来て、一般用の「剣道」「柔道」の競技的普及は別として、武術としてのより深い部分を学ぶ為には各地における地元伝統の各流武術に正式入門して学びを深めて行けばよいわけである。
これが封建制度が崩れた後の武人たちが明治の初め頃、最初に構想した事である。そして実際、この方式はある程度の時期まで、割合上手く機能したかと思われる。
しかしながら、それは実際的にはいつまでも上手く行かなくなっていったのである。
なんとならば流儀の兵法古家の師範たちといえども時代を降るに従い競技試合法の弊害をもろに被って身体が歪み、そして次第に心狂わせ正統なる古伝秘伝法を継承する事が段々と出来ない様になっていったと言う事なのである。
そんな馬鹿なと思われる向きもあろうかと思うが、これは明治以降に起こった紛れもない事実であり、その実際事例は枚挙に暇ないほど挙げる事は可能である。
これはどういう事であるかといえば、要するに「西洋式スポーツ」とはそれほど人類にとってかなり危険で問題ある文化であったという事である。それは確かに身体を歪め、そしてなにより心を蝕む働きがある……。
正に「老子」が指摘した如く「馳騁畋猟(ちていでんりょう)は人の心をして発狂せしむ」という事である。

A流儀武術が内蔵する極意奥義の秘伝秘技群は余りに膨大であり、全ての秘傳の継承が困難であった。
これも日本伝統武術が基本的にもつ継承時における実際的な極めて大きな問題の一つだろう。
流儀武術特有の秘伝群はそれほど量(本数)ではないが、「天狗傳武芸」の部分が継承する秘技秘伝群は歴史が長いだけあり、かなり膨大なものがあり、確かにこれほどのものを纏めて継承させる事は難中難事であり、完全継承するには余程の才能と資質が必要である。
よって各流儀の多くにおいて、最初にこの部分(天狗傳武芸秘伝)が省略された。現在の古武道の多くが此処の部分を欠落してしまっている由縁である。
B各流儀の存続と為に流儀武術の各継承師範は流儀の古典形のみの伝授に勤めた
これは前項の様相の実際的なやり方である。真正の流儀武術の全体系は比較的大きなものであるため、流儀の継承者たちは「天狗傳武芸」の部分は後において、とにかく流儀の古典形の部分のみの伝授に勤めた。確かにこの部分は流儀の核であり、DNAであり、大事にするのは当然である。
しかし実際的にはここの部分のみにおいても完全には継承できず、初傳か中傳程度しか伝わっていない、奥傳、秘傳部分が大きく欠落した歪みの古武道が生まれた由縁である。この様な事は江戸期においては厳密な伝授巻(流儀の秘伝書・允可状)を通じてなされたので殆ど生まれる余地はなかったが、明治以降は組織化と段級性への以降を通じてその様な欠落部分がかなり生じたと思われるのである。
C武術秘伝、秘技における危険性
武術における秘伝や秘技、極意技等は伝統武術としての当然の成果であるが、何故にそれが「秘伝」という西洋系体育文化には余り存在しないスタイルをとったかと言えば、これは勿論一つにはその傳の本質的な危険性である。武術とはその技術としての本質の一面は当然の事ながら殺人術であり、そこから派生した高度で激烈な技術秘技を一般公開する事は問題であり、世に害毒と混乱を引き起こす事にもなりかねない。よって「秘伝」という形をとり、一部の信頼できる高弟にのみ伝授するという形をとったわけである。しかしながらの方式は江戸時代まではかなり正常に行われていたが、明治以降武術には武道の商売化と組織化が進み、余り奥傳的な危険な技法の伝承は出来ない様になっていったのである。
これは実際的な事であり、各流の秘伝技はここの部分で大きく損なわれてしまった。
D継承者たちの出し惜しみ
維新以降、伝統武道が商売化したという脈略の先に各継承者たちの「傳の出し惜しみ」という事例も多く見られたといわれる。また商売化、組織化という事は武術の家元制度化という事であり、よって秘伝部分までを完全相伝するという事が少なくなってしまったという事である。
E伝授の難しさ
古傳武術の奥傳部分、極意秘伝の部分の伝授は古の武人たちも大いに苦労した所である。武術の伝授は「形」「技」「口傳」等を以てなされるが、武術の極意秘伝は複雑な高度にして奥深く、中々に普通の感覚として伝授が難しい場合が多い。ここに各流の工夫があったわけであるが、ここの部分まで伝授するには師範自体の資質と才能が要求され、現代では出来る人が殆どいないと言うのが実際であろうかと思う。


秘伝・必殺奥義技というものが現代武道、そして古武道にも殆ど失われていった因由を少し考察してみたが、維新以降、全ての武術系脈が組織化したわけではなく、一部の流儀はあくまで古式のままの武術を細々と伝えてきた事は事実である。
しかし系脈は細々とではあるが、各系の内蔵する技法傳、秘伝法群は膨大な傳を保有する道脈も各地にある程度点在していたかと思われる。
ただそれは所詮は戦前までの事で、終戦以降は武術文化そのものが(ある理由により)衰退し、そして残念ながら現在では日本武術が永い伝統の中で編み出した数えきれないほど多くの武術秘伝が殆ど完全に消滅してしまったと言うわけである。
勿論古武道の中には江戸期に体系化された流儀の全ての形をちゃんと継承して来たと豪語する流統も少ないながらもないわけではない。しかし逆の立場から言えば、「形」しか伝承していないとかと言う問題がある。各流儀の教傳体系は様々なで一概に判定する事は昔いが、形伝授のみでは流儀体系の一割にも満たないと我は判定する者である。
形体系なんぞより余程巨大な技法傳を保有する「天狗傳武芸」の部分。そして超絶的な武術極意を構築する為に重要な「武禪道(各流儀においてそれぞれの名称付けがある)」の部分が欠落していては武術として機能する事はかなり難しいと言う事なのである。