★武術問答


武術問答といっても単純にQ&Aコーナーです。
直接或いはメール等にて質問された問題に対して出来る範囲で解答して行きたいと思います。
[メール等における色々なメッセージは量の問題も含めて、中々答えられない事も多いので、当会の活動に対する問い合わせ等は電話の方がよいと思います。しかしメール分においても必要と思われる件に対しては時間はかかっても対応しておきたいと思っています]

第一問答「日本武道に未来有るや無しや」
●Q1/日本武道、古流武術が全滅したと言うのは言い過ぎなのではないか。今だ全国各地で現存している古流武術も多く、それらを絶望視する事は宜しくないのでは。
「殆ど完全に滅びた」と言う説明を鑑みると、「完全には滅びてはいない」と言う意味にも取れるのでは? 日本武道は「滅びた」のか、それとも「滅びていない」のか、どっちなのですか?
また滅びたと称しながら、また高尾の地で古傳武術を教授すると言う事自体が矛盾なのでは?
(色々同様の質問を頂きましたが、それらを纏めて大意をとって質問の形になしました)
★A1/左派の得意な言葉遊びをして仕方がないのですが、我も注意して、「完全に壊滅した」と言わず、「殆ど完全に壊滅した」と言う風に概ねは確かにその様に解説しています。だからその意味合は……等と言って弁明してゆくのも一種の言葉遊びではあります。
ただある事実により、それはデジタル的に「有る・無い」で片づけられない命題となってしまっていると言う事を認識して頂きたいのであります。
この質問者の質問意図として、未だ日本武道には希望があるのでは言う意識があるのではと思われるのですが、前述の命題があるが故に、よって、それはかなり甘い認識と言う事なのであります。
何とならば、我がテーマとなしている「日本武道」の本質は残念ながら……と言う言葉遣いは論旨の流れからはかなり不適切でありますが、事実関係を直截的に述べれば、即ち日本の武道と言うものは「民族伝統武道」ではなく、正に残念ながら「流儀門派古典武術」の段階に達したものであるからなのであります。
これが、相撲とか、或いは別の民族的、慣習的な遊芸等の文化レベルならば、数が例え激減しようとも、最後に何人かの継承者が何とか現存ならば、これからでも新たな伝承者を養成して、再興する事も決して不可能ではありません。
しかしながら(本当に残念ながら)日本武道と言うものは単なる「民族武術」超えた、超絶的な武術の究極形態、「流儀武術」の段階に達した至高の文化となってしまっている……いたと言う事なのであります。
武術文化のレベルが「民族伝統武術」から「古典流儀武術」に達すると、これは文化のビッグバンがおこり、超絶な無限平行世界が醸成してゆくのであり、故にこそ「日本武道」と言うのは真に超絶的であり、かつ本当に尊くも極めて貴重な存在であったのであります。
しかしながら……これは確かに素晴らしい事は素晴らしいが、ただ各系脈は他系とは基本的に関わりなく継承される活きた存在であると言う事であり、よって各系脈の糸が切れた時、それはその系脈の「死」を意味する事となるであります。
大事な「種籾」を守ったとして、不慮の事故によって、間違ってその種籾の殆ど全てを失ったとしても、種籾袋の底を探ればまだ何粒か残っていた。不幸中の幸い……とは日本流儀武術の場合は残念ながらならないのです。
管理人は個々半世紀の間に多くの流儀武術の系脈の途絶を目の当たりにみてきたのであります。その時の思いや悔しさ、それを縷々述べる事はそれは自己の無能に跳ね返ってくる問題でもあり、それよりも余りにも詮なくも情けない話なので省略しますが、数多の流儀武術が本当に我の無能を加えた日本人の愚かさ故に滅びました。それは何としても蘇りません。死者の蘇り等二千年前に一度事例を伝聞で聞くばかりでそれも見てきた訳でもなく、確証は持てません。
そして現在残った古流武術と言っても……それ以上の事は他系武術に対する批判に繋がるので控えたいと思いますが、我の総合判断として、「日本武術の完全消滅」との認識を下しているわけであります。
そしてもっと結論的に言うならば、これは「日本武術は絶滅か否や」の問題ではなく、「日本武道に未来有るや無しや」の問題と考えます。そしてそれをもし我が判定するならば趙州和尚の如く「無」と答えざるをえないのであります。

第二問答「曲解か捏造か」
●Q2/反日文化人の発言として仏教研究の大家、中村元教授の事が取り上げられていましたが、「捏造」の意味がいま一つわかりません。スリランカ首相ジュニウス・リチャード・ジャヤワルダナが日本に対して賠償請求を放棄した事は著名であり、中村教授はそれを取り上げたという事かと思いますが、問題点はどこですか。
●A2/詳しい解説は省略したのでは分かり難かった面があったかもわかりません。詳説します。
中村氏の講演を聞いて、非常な違和感を覚えました。当時のスリランカ首相が日本に対して本当にこんな上から目線の発言を本当にしたのだろうか? 我の記憶によると確か……? と思い、早速同氏の会議における発言を検索して読んでみると(ネットというのはこういう時本当に便利で、一昔前とは違う世界がきている感があります)、全く論旨が違うという事です。
スリランカ首相の演説は大きく二つの文脈に分かれます。一つは東洋世界を開放した日本人に対するリスペクト。そしていま一つは仏教の教えを引用しながらの恨みを捨てての賠償請求権の放棄云々。原文を引用すると長くなりますので避けますが、全体の流れの趣旨を鑑みると、この首相のいう「恨みを捨てて……云々」の下りは日本に対して傲慢な姿勢で述べた言葉でなく、東洋世界を侵略した白人勢力(つまり戦勝国の面々)に向かって発した言葉と解釈できます。
中村氏が述べている「日本が南アジアの国々に害を与えた……云々」の言葉はありません。これは正に白人圏からの侵略であり、それを「日本が」と置き換えるのを捏造といわずしてなんでしょうか?
そして結論としていう「我々は懺悔すると共に感謝する事を忘れてはなりません」との言葉は真にかなり歪んだ反日発言と判定するものです。