武術各論/目次

日本古傳剣術の實相

古武道から秘伝、秘技、奥義技等が失われた原因について

維新以降の古武道が欠落してしまった奥傳、祕傳の部分の実際について

「武禪道」とは1 概論
「武禪道」とは2 具体論

「武禪道」とは2 具体論


武芸の高峰

曖昧な言葉をいくら綴っても真理には中々近づけぬ。

「眞實は常に一つ」と某少年探偵は断言するが、その言葉、断定自体が寧ろ眞實、真理を壊す事もある。故にこそ現代最高の物理學者たちも「光」の正体を「粒子」とも「波動」とも未だに断定できないでいるのである……。

正に真の「武禪道」の實相は「相対性理論」を遥かに超えた「量子力学論」の世界に類似するが、かかる武芸祕傳世界は確かに言説を絶した世界であり、容易に描写する事は不可能である。

歴代の数多なる剣術名人、剣豪達がそれに挑んだが誰も成功した者はおらず、唯一伊勢守のみがその基盤となる「禪教學」を「武」に合体させる事に成功し、そしてそれから百年程かかって遂に「武禪道」のシステムがほぼ完成したという事である……。

しかしながら、それを言説を以て解説できないのだとすれば、その「武禪道」なる形而上学的メンタルメソッドの位、レベルを遥かに落とし、古典物理学的な立場で具体的に解説する事も時には必要であろうかと思うのである。それは目に見えない空気の動きを線香を焚く事によって、その揺らぎを感知するが如しであり、痒みに対して靴革を隔てている感もあるが、殆ど唯一の有効な描写手段ではあるだろう。


具体論

武術教傳時に際して目に見えない極意を体得させる為に様々なメソッドが用いられた。「武禪道」が第一に提示したのは「公案」というものである。

即ち各技術や古典形の伝授に際して師匠は門人の身心のレベルと性質に応じて彼の心と体に問いかける。

「如何なるか是れ武道」「如何なるか是れ極意」「如何なるか是れ無刀」……のみならず、各打ち込み変化に対応できる様に様々な打ち込みをなし、門人の反応と対処法の工夫を引き出すのである。数百以上……たとい千余の形を制定しても(千の形を制定した流儀は存在しない。数本から百本前後、例外的に影山流や竹内流、渋川流などの総合武術が数百の形を持つ例があるのみである)、無数の敵の万余の技法變化、数多の新兵器の攻撃パターンの対処を法を全て提示する事は畢竟不可能である。故にこそ「古典形」技法を基盤におきながらもそこからの様々な變化とその対処法を問わねばならぬ。

「背後からの打ち込み是れ如何」「多数からの攻撃是れ如何」「弓鉄砲に対するに是れ如何」「無手にて敵を斬り倒す法(真空斬りは是れ如何)」「速やかに意識を奪う法(當身極意是れ如何)」等々……。

江戸三百年に渡って武の先達は公案を無数に發し、各系脈において多くの解答、即ち超絶祕傳儀群が完成され、それが降り積もって大山となった。

超絶的な大秘法、魔術剣法奥義とも言える各秘剣も数多だが、細かい秘訣口傳は本当に膨大であり、各流各河から低所に流入し、祕傳法世界、武術文化体系という大海となっていった。


「天狗傳武芸」は「祕傳貯蔵蔵」

「武禪道」とは正に「無」から「有」を引きだす超絶メソッドではあるが、このメンタル世界にその有なる秘法を保存しておく事はできず、と言って完成された新秘法を流儀武術そのものに直接付加する事は古典武術の本質を壊す事となりかねない。故にこそ「武禪道」が産み出した秘法は「天狗傳武芸」の中に一先ずは収容し、それは巨大な「祕傳貯蔵庫」になしたわけである。そして「天狗傳武芸」と「古典流儀武術」とは連動するものであり、因って真正の日本伝統古流武術こそは古いままが常に新しく最強なのである。

ただ、確かに「天狗傳武芸」はある程度「祕傳貯蔵蔵」になりうる存在であるが、貯蔵期間には流石に限界があった……。それが古代伝統武芸としてのステージであり、限界でもあったわけである。


「口傳秘書」とは「祕傳固定装置」

古代の日本武道にも「武禪道」の原型的なものは存在したと思われる。それを「工夫傳」と呼ぶとするならば、古代武芸は「天狗傳武芸」と「工夫傳」の連動体であったであろう。そしてそれは永い伝脈の中で膨大な神傳祕術を内蔵する確かに深い武術であった。しかしながら伊勢守以前ではその驚異の秘法傳は体傳口傳として伝承した為に古典と言える程のものでは未だなかった。即ちそれは世界の伝統武術と同じステージであったかと思われる。

しかし遂に伊勢守が出現し、流儀の『伝授巻』を設え、そして傳を引き継いだ各門弟たち、特にその中でも柳生家においては伊勢守傳兵法秘法と『祕傳書文化』をより発展させて、驚異の『口傳秘密書』文化を醸成していったのである。

『口傳秘密書』は「無」から「有」を紡ぎだす「武禪道」文化と連動するものである。即ち、生成した新秘密技術は「天狗傳武芸」に一時保管すると、次には、『口傳秘密書』に永遠保管』する事としたのである。正にかくした『祕傳書』こそは「空中元素固定装置」……ではなく、「新秘密技術の永遠保管装置」であったわけである。


江戸初期のビッグバン

戦国末期から江戸初期にかけて確かて確かに日本武道というものは真に不思議な超絶的な変革期を迎えていた。長年山中、土中で培った秘法の蛹が時熟し、遂に蝶として羽ばたいた……。

それは伊勢守と柳生家のみの事績には止まらず、それほどダイレクトな系脈を得ずとも全国の各武人達にも感応、シンクロし、この時期に於いて巨大な『祕傳書』文化世界は各所で花開いたのである。

江戸期全般を通じて『祕傳書』「武禪道」の超絶アイテムが各流においても名前や形態を若干は変えながらも採用される事により日本武道が世界に冠絶する本当に素晴らしいものとなっていった。それこそが正に日本武道のビッグバンである……。



「武門関」の秘密

日本武術のメンタル世界を司どる「武禪道」の「アップデート装置」としての側面を解説した。しかし勿論そればかりではなく、より重要かつ神秘的なのは「武門関」としての働きの部位である。しかしこの部分こそは曰く言い難く、捉えがたい。

武術の

「アップデート」の為に遂に門人に「公案」を発する事は既に説明した。それは確かに武術アップデートの為でもあるが、またいま一つは修行の各過程、道筋に関門を設ける働きも持つ。

この部分の解説が難しいのはあからさま説明すると、関門における試験問題が公開される事と同じであり、関門の意味合いが消失してしまう為である。

そして真に「武禪道」の全貌を明かすには公案を発する独得出題法の事にも触れなければならなくる。しかしそれは日本武術の最高秘密に近い部分であり、そしてまた各流の機密とその掟に抵触してしまう危険があり、我もこの部分の解説には意を用いて細心の気遣いにて発言しているのである。


公案出題法

日本武道の教傳において、あらゆる部分、各所に禪機があり、公案の出題には色々なメソッドが用いられた。それは各流において独得の工夫のある部分であり、ここは正に流儀の禁忌に触れしまう事になり、流石に我としても控えねばならない部分が多い。

ただ日本武術全般における民族武術としての独得の部分にその方法論が多く隠されている事は指摘しておきたいのである。

日本武術の独特部分とは、確かに多くの特徴があるが、日本武道の稽古で発せられる様々な気合、掛け声の部分は確かに独特であり、これは正に「武禪道」の入り口に繋がっている。

剣術家の事を俗に「ヤットー遣い」というが、これは正に「武禪道」の一端である。


日本武道の気合

日本武道には色々な気合や掛け声が用いられ、かなり独特の部分がある。

「ヤッ」「トウ」「エイ」「ヤァ」「ハァー」「エイン」「イアイ」「まいる」「こいやぁー」「オイサ」「オー」「アァー」等々……。一般的なものに加えて「ヨォーイエン」「キューエイ」や「ズー」「タン」「ヘッツ」等との流儀による独特のものもある。

単なる無意味な掛け声の如くにみせながら、その実は正にそれこそが古い形態の「禪問答」であり、その真意を解してこそ日本武術の深い世界に入ってゆく事ができるのである。


各種の出題法

「禪機」を捉えた様々な公案出題法があり、各流における工夫と発明により、かなり興味深い方法論が取られている。しかしこの部分を何とも解説し難いのは、此処の部分は正に各流儀の秘密傳となっており、我が研究者としてある程度知悉しているのだとしても、かってによその流儀の秘密をあからさまに開示する事は憚れる。勿論多くの流儀は既に失傳しており、それほど責任もないような話であるが、ただ此処の部分こそは先達たちが命懸けで守った深い精神文化の世界であり、余り深い解説、実体開示までは憚られる。

それは死んでしまった恋人のヌード写真を配る様な野暮であり、ただそれは本当に深く、功妙にして本当に絶妙なる奇跡の精神文化であったと賛美するのみである。

ただその概要は……という事であるが、正に流儀の「気合」を利用したもの、天狗の羽団扇を利用する法、またそれ以外にも各流独特のアイテム部品が用いられた。我の継承す流儀では単独の鐵鐔を利用する法や特殊な小柄や笄を用いた伝授法等もある。

祕傳書も極意伝受の為に様々な形態が工夫され、祕傳の巻物の芯に、より高度な極秘の巻物を仕込んだり、流儀の極意を流儀独特の暗号文で綴った様なものもある。

琉球拳法においては伝承する形技法の中に極意開示の手法を内蔵した部分があり、これは「那覇手」「首里手」「泊手」等、それぞれの方法が伝えられた。この部分が現在の沖縄唐手にどの程度現存しているかは我にも分からない。本来秘密裏に行われる事であり、現在でも伝えてい師範もいるのかも知れない……が、伝聞、噂においても残念ながら聞いた事がない。


祕傳の存在検知法

武術における祕傳の存在は、祕傳であるが故にあるかどうかも分からない……というのが第一義的な一般認識かと思うが、ただ祕傳とは必ずしも奥傳伝受のみに限定した話でなく、またその伝受順序は概ね定められていると言えるが、その階梯に従って必ずしもなされるわけでも、実体としてはなかった。

大まかに分けると祕傳というのにも流儀における祕傳と、日本武術としての伝統的祕傳とがあり、前者は順序の轍を踏んで行なわれが、後者の伝受順序は割合ラフかつランダムである事が多い。

いずれにしろその秘密性と各指導師範の資質による部分があるので、確定的な事は言えないが、現代武道、そして一般的な古武道には此処の部分は決定的に欠落していると考察する者である。そして名前の付け方や名乗りはともかく「武禪道」の部分を纏まって伝えている武道は現代には皆無に近いと判定する者である。

現代の武道は余りにも口傳部分の教傳が貧弱すぎる……。


以心伝心

口傳部分が貧弱と言っても現代古武道の如く各人の思い込みと新作口傳をもって喋々するばかりではどうにもならず、故にこそ現代の古武道など現代武道家から馬鹿にされるのである。もっと昔式の深い古流武術の本質を認識した者が終戦後七十余年を経て、殆ど皆無となり、日本武術は消滅した。

ただ「武禪道」の片鱗を少しでも残したい……。いやその存在を描写して置きたいとは思うのである。以心伝心で行なわれた古の極意伝受法、だがそれは何も言葉を文字、絵、技等を用いないいいう事でもなく、逆にそれらあらゆるアイテムを尽くした後の独特の伝統的方法論であるとも言えるであろう。


古代兵法

その原型は日本のみならず、凸国武術にもちゃんと存在しただろう。古代支那の兵法書にもその片鱗は現れている。『六韜三略』に現れた人心把握、百兵制御の古典的手法も「武禪道」の原型であり、後代の日本武芸者はその原石を磨いてより輝きの増したる驚異の兵法極意文化を構築したと考えられるのである。