総論


●初段「事実認識」


滅亡した日本古伝武道の真実

先ずは最初に事実認定からなしておきたいと思います。それは日本の伝統的古傳武道は残念ながら既に殆ど完全に滅び去ってしまっているという事実です。

日本の武道は戦国後期位の時期に遂に武術の最終形態である、「流儀武術」のとして一つの結実をなし、そして江戸期における封建的武家社会という武術種子発芽にとって最適の土壌にて極度の発達をなし大輪の華を全国各所に咲かせました。正に極東の一孤島「日本国」において世界無比とも言える奥深い超絶的秘伝武術世界を構築したのであります。

武術大華は江戸三百年を通じて徐々により美しく成長しながら枝葉を増し、全国津々浦々まで超絶美の武術華が万朶に咲き誇りました。

という事はつまり、幕末こそがまさに日本武術の最高頂点、大爛熟の刻であっと考えられるのです……。しかしながらその頂点を極めた正にその刻、それを一歩出でた、次の一瞬先は断崖絶壁の垂直滑り台(奈落の大落とし穴)であったのです。

実際の所、隆盛した万余の武術流儀の九割以上が維新時を境に、文明開化、西洋礼賛、旧弊遮断、西洋文化妄信等という様な様々な人々の意識変革、歪みと言った大波小波を被って水没し途絶してしまいました。

ただしかし、それでも明治大正、そして昭和の初め頃までは極一部の有志達によって幾つかの流儀は辛うじて、細々とながら何とかその貴き道脈が手継伝承されていた事も事実であります。さりながら大東亜の大戦を経た後、再びの極めて大きな次の意識変革の影響もあり、それら希少に残った貴き流儀武術の殆ど全てが終戦後、次々と消滅して行きました。

戦後の昭和、平成を通じ、そして遂に令和の御世を迎えましたが、令和日本という時代は古典武術の道統は勿論、それらが保有していた厖大なる極意秘法、武術魔法傳群の殆ど全てを消失してしまいました。即ち、現代日本とは武術伝統の存在しない無味乾燥世界と言えます。要するに三島氏が五十年前に警告、予言した所の何とも国籍、文化のない、ニュートラルなる無文化の砂漠地帯に日本はすっかり変容してしまったのであり、これからの日本の若人は少なくとも武術文化に関しては砂を噛んで生きて行かねばなりません。

かつての日本古傳武道における完成度の高さと偉大さ、そしてその隆盛と武徳等に思いを致す時、現在の日本の状態は日本武道の法統が遂に完全消滅した法滅塵の時代と断定してほぼ正解として捉える者であります。


日本武道消滅の因由と元凶

崇高にして偉大なる日本古傳武道が遂に消滅してしまったのは戦後の意識変革や凸国からのバイアスを通じた文化ジェノサイドの為と観察できますが、しかしながら凸国からのバイアスは占領期におけるある一期間を除いては直截的なものでは必ずしもなく、それ以降はかなり歪んだメディア情報戦を通じてのある程度間接的なものでありました。この様な凸国の思惑や工作はある意味、寧ろ当然の事であり、そんなものを日本武道消滅の真因とはしたくない。それは他罪的な発想であり、そんなものに滅びの因を求める事は、何とも情けなく、また本当に甲斐ない事であります。

そんな凸国の事何ぞより、それらの影響下、自己の利益の追求に勤しんだ国内の似非文化人や曲学にて世を渡るインチキ学者バラの事がとにかく問題ではあったでしょう。そしてそれに踊らされた目なし民衆たちの愚かさもまた……。実際世界無比なる人類武術文化の究極到達点ともいえる日本の秘伝武術を弊履の如く捨て去ったのは外ならぬ日本人自身である事を認識しなければなりません。

今となっては言ったところで栓なく、如何に嘆き,反省、慟哭した所で、滅びた日本武道が蘇ると言う訳ではないが、未来において同じ轍を踏まぬためにも正確な事実認定と糾弾はなしておくべきであると考えるのです。


●二段「武芸崩壊風景」


ここ半世紀間における日本武道の崩壊過程

ここから管理人の体験と見聞に元ずく日本武道崩壊の光景を描写してゆきたいと思います。

今は昔、それはもう既に半世紀、いや六十年近く前からの本当に古ぼけた時代からの話になるのでありますが……。


さて、お立合い(パソコン閲覧者は座位での閲覧もOK)。

かく申す管理人は関西における地方小都市に生まれ、人脈と縁があり、幼少より剣道や柔道、また色々な古流武術等に触れる機会も多く、実際の学びを続けてきました。また別の(かなり不可思議な)縁もあり、独特なる琉球の古傳拳法「昔手(ムカシンディー)」、各種琉球兵器法を学ぶ機会も得ました。

しかしながら管理人が学んだ剣術・居合術は地元流儀ではあったが、その当時においても極めてマイナーな流儀で殆ど文献や小説等でもその流名を見つける事は出来ませんでした。ただ学んだ柔術は歴史的立場からは割合著名な流儀を学んだのですが、色々調べると流儀名は著名であり、確かに柔術における名門中の名門ではあるが、その正統な道統は江戸の地に傳脈した流儀であるらしく、管理人が学んだのは傍系なのかと考えられるのです。

いや、傍系なら傍系でもそれはそれでよいのですが、『日本武道全集』等で古い伝書を見てみると流儀内容は余り合致せず、これは大変に不思議な感じがいたしました。

そして琉球拳法といえば要するに沖縄の「空手」という事になりますが、一般に行われる所謂「近代空手」とは技法内容、特に稽古法等は全く異質なもので、後に一般的な所謂現代空手の稽古にも触れて大きな違和感を強く感じた事は事実であります。管理人の師は「古流琉球拳法」「古傳琉球拳法」、また「昔手(ムカシンディ)」という様な名称を用いていましたが、技術内容は「唐手(トウディ)」と「昔手」の両方を含んだものでした。

この内の特に「昔手」の部分には本当に厖大な拳法技術と奥伝秘技が含まれているのですが、現在まとまった体系としてはまともに伝える「空手」の道脈は殆どないのではないかと思います。沖縄・本土、また世界を見渡しても殆ど見当たらないようです(何十年かを経てこの琉球古傳拳法「昔手」と琉球傳兵器法の道統は管理人が継承する事となりました)。

管理人が継承する各古傳武術の多くは殆ど無名であり歴史な部分においてはまだまだ解明しなけれはならない問題は山積みなのですが、ただ管理人がかつて地元にて学んだ剣術、居合術、柔術、そして琉球拳法の技法内容は極めて高度であり、大変に優れた第一級の武術である事は、後に他の多くの古流武術を学び、また全国の現存古流武術を探求し、以後五十年程に及ぶ研究と解析を通じ、また実際に見聞してきた立場においても断言できます。それは現代における日本のどの武道にも既に殆ど存在しない膨大にして超絶的なる技法傳と秘法傳、そして真に奥深い極意心法傳を含むものでありました。


古式剣術傳の途絶

「柔術」「琉球拳法」等の体術系の武術の事は別として、管理人が学びの主体としていた地元の剣術・居合流儀は先代の先生も後継者を得ぬまま亡くなられ、稽古人も殆どいなくなり、師範方も稽古を殆ど止めた状態となり、仕方がないので次に他の居合や剣術流儀を探求しました。地元で行われる他の居合を中心とした幾つかの流儀を求道して実際に学びました(地元流儀のみには拘らず、多くは地元で活動する所謂現代式古武道、居合道、剣術等です)。

それらの流儀の概ねは現代においてある程度組織化されて活動する所謂「古武道」と言われる割合著名な流儀群であります。そしてそれらの各流儀を新たに学び初めて、その内容には少なからずの衝撃を受け……というよりそれぞれかなり奇妙な感じ、大変に大きな不満と、そして何ともどうしようもない様な強い飢餓感を覚えました。この何とも言えない物足りなさは一体なんだろう……かと?

管理人の学んできた地元流儀とはかなり感じが違う……余りにも違いすぎる。いや流儀が違うのであるから内容が違うのは当然ではありますが、武術という立場においてはなんとも違和感が強い。その違和感における具体的な理由を少しあげてみます。


@形数の少なさ

各流儀の伝承形は稽古を通じて概ねは修めたつもりですが、そんな事が短期間にて急に出来るのかと疑問に思われるかも知れません。

しかしながら実際的には、そもそも新たに学んだ各流儀の形の本数が何とも少なく、習得にはそれほど時間は掛かからなかったと言う事がまずあります。また概ねの流儀は管理人が直接流儀の師匠を訪ねて殆どマンツーマンで学んだもので、加えて全体の体系が僅少な事もあり、習得にはそれほど時間は掛かりませんでした。また概ねは技法テキストが書籍として発行されているので、それらを通じて復習する事も可能であります。

A形の単純さ

流儀にもよりますが、管理人が既に修していた地元流儀にみられるような、高度で深く、そして巧妙にして合理的、実戦的な形は余り他流では見受けられない。これは伝統武道としてかなり不審に思った事は事実です。そしてより高度な奥伝技、秘伝技というものがどういうわけか殆ど伝っていない事もかなり物足りない感じが致しました。

B形演武のみの稽古

他流(現代式組織化古武道)の学びにおいて最も不審に思ったのは形演武稽古が中心……というより稽古の殆ど全てであった事である。本来の古傳武術が内蔵するはずの深い錬功をともなった独特の稽古法が殆ど見受けられない(この部分こそは各流儀が「武術」として機能する為に必要な真に核心の部分のはずなのですが)。

C不明確で出鱈目な術理

流儀によってはある程度本数もあり、技の形自体は割合高度なものを保有する流儀も皆無ではない。しかしながら各形の術理が何とも不明確で師範の説明を含め、書籍等の解説もかなり無茶苦茶な事を書いている(特に居合道は酷い)。

居合としての独演形はともかくとして、その次にあるはずの組太刀形の部分が殆ど欠落しており、よってこれでは形の用法、理合が不明瞭である。そしてそれに付随する独自の練功法の部分(天狗傳剣法の部分)も継承されていない。……という事は実戦武道としては殆ど機能しないという事になります。

D伝書の不在

先んじて学んでいた地元流儀で見られる様な古式の伝授巻を通じての伝承をなしている流儀は殆どなく、概ね表彰状的段級証書を発行している。これでは古武道どころか正に現代武道そのものである。地元流儀はマイナー無名な流統ではあったが、ちゃんと手書きの巻物、秘伝書類を通じて教傳していましたし管理人も直筆伝授巻を頂きました。ただ琉球傳武術には古典的な伝書類は元々存在しませんでしたが、管理人の師は手書きのかなり膨大な口伝書を直接いただきました。


……現代式古武道への不満と問題はまだまだありますが、本サイトは現代古武道の誹謗が目的ではないので必要部分のみの指摘に止めます。


最後の師範方からの秘法手継

地元で探求すると確かに居合道流儀(全国的組織化古武道)はそこそこ存在したが、所謂古流剣術といえる様な流儀は余り伝承がありませんでした。文献を通じて探求して幾つかの流儀の存在を感知し、そして訪ねましたが、残念ながらそれらの流儀の概ねは既に失傳、もしくは流儀の活動の途絶えた状態であり、余り完全には学ぶ事はできませんでした。ただこの時期はかなり遠方まで足を延ばし、各真正なる古典流儀の最後の師範方々に邂逅する事が出来、最後の謦咳に接した事、そして貴重な傳の手継を幾つか頂くことが出来た事、また本数の少ない流儀は概ね全ての形の傳を修める事も出来た事は大変によかったかと思います。


江戸系名門流儀群

地元において剣術に限らず、様々な古傳武術を色々探求しましたが、残念ながら地元古流武術は既に殆ど全てが壊滅しており、管理人が学んだのが最期の邂逅となりました。

地元流儀の全滅にかなりがっかりしましたが、間もなく次には東京に居住する事となり、江戸系古流武術を学ぶ事が出来る様になりました。

江戸系名門流儀(まさに文献や小説に多出する様な名門中の名門流儀)を数流、剣術、居合、柔術等色々をそれぞれ学ぶ機会を得ました。体験的に「古武術」「古流武術」といっても組織化された所謂「古武道」は駄目と言う観念が既に強かったので、あくまで古式伝承法を墨守する真正の古流武術を選んで学んだつもりではありました。


やはり残る飢餓感

しかしながらやはりかなりの違和感と何とも言えない……どうしようもない様な強い飢餓感を覚えました。

東京に出て真っ先に感じたのは同地の饂飩蕎麦の不味さで、是れには先ずびっくりさせられましたが、江戸系古流武術の学びにおいても同じ様な感じ、いや、もっともっと強い不満感を抱いたのでありました。古典形は古典形としてはよいが、「天狗傳武芸」、そしてまた特に「武禪道」の部分が殆ど欠落している……。学んだ柔術の古典形はそれなりに古式でしたが、乱捕、組討系の傳は殆ど講道館式柔道に置き換えられて流儀の独特のメソッドの伝承は殆どない……。しかしそれも当然であったのかもしれません。関西系の古式組討法を伝えている流儀など、当時においても管理人が学んだ柔術系脈のみ位であり、それも後には省略され古式組討法をちゃんと学び、また流儀の直筆秘伝巻を頂いた最期位の門人に管理人自身がなってしまっていたのでありますから……。


江戸の武術流儀の欠落部分

それはともあれ、江戸の流儀は、音に聞こえた名門流儀だけあって史料も豊富であり、形体系も割合ちゃんとしていたが、武術としてはやはり何か物足りない。関西系の地元の古典武術で見られた様な独特の深い錬功の法、各種秘法口伝、驚異の奥義秘剣等、武術としての重大な部分がスッポリと抜け落ちている様に感じられたのである。また日本武術というものは学びの稽古の最初の段階から、各階級において様々な口伝、奥秘の部分が満載なのが本来的な古流武術の本質であると管理人が考えるが、この部分の伝承が殆ど欠落している。

これでは日本武道を外面的には称しながら、実体的には殆ど西洋式体育と変わらないし、日本式の旧弊を引きずっている部分を見れば西洋文化にも遙に劣る……。

勿論武術流儀というものは各流様々な形態を取り、内容も確かに色々であるが、関東系古流武術の多くは武術として極めて重要な部分がスッポリと欠落している様に感じられた。何よりも各流儀稽古の内容と稽古法に何とも面白みがない事は逆に大変不思議な感じがいたしました。

学びの面白味なく、辛いばかりの武道練習は、旨味なく、辛いばかりの関東饂飩と同じく身心には全く宜しくない……。よって関東の地でも食べれる、極上の関西系饂飩と深い武術極意と秘法傳を内蔵する真正の古式武術を欣求、探求しました。


【関東にも例外的には、深い内容、優れた技法傳や心法を保有する流儀も存在する事はします。しかしこれらは正に例外中の例外、超例外なので、それらの流儀については後述したいと思います。ただそれらの例外的流儀も現在の老師範の代で殆ど終焉であると思われるのです。
また関東に於いて極上の関西饂飩を頂く事はかなり難しいが、ここ何十年かを通じて町の路面系のセルフ饂飩蕎麦店においても、幸いかなり洗練されてきた様に思います。例の茹で置き麺を出す安物店の方が割合少なくなってきたと思います。出汁の味が関東風なのは致し方ありせんが、それでも探せば関東系なりの美味しさの出汁の店もあります。天ぷらなども大量生産品ではなく、ちゃんと自店で揚げる店も多くなりました。関東系の饂飩蕎麦の極上店は関西饂飩とは違った美味しさがある事は管理人も認識しています】


現存古流武術調査「驚きと感激の時期」

関東系の日本の古流武術の現状に半ば絶望しながらも、探求を続けていましたが、昭和の終わり頃から平成の最初頃にかけて特別の縁があり、そして半ば仕事として現存古流武術における全国的な徹底調査の機会得ました。そして、この時期は意外にも感激と驚きの連続でありました!

既に稽古は行われていなかったが、古典武術を継承される最後の師範方の何人かに邂逅する事が出来、そして技もある程度学ぶ機会を頂き、そしてその中のいくつかの流儀は全傳を修めて道統を継承する事が出来た。

この時代こそは先の大戦の終結以前に師範であられた先生方が未だ何とか現存し、厖大なる秘傳法の道脈がギリギリ存在した本当に最期の刻位であったかと考えられるのです。


完全消失した古流武術

平成初期位までは発見と驚嘆の連続であったが、それ以降、平成中期から後期にかけてはまさに日本傳古流武術の完全消滅への、フェードアウト期間でした。

管理人もその保存と継承に力を尽くしたつもりではあったが、「悲しや我に力なく」、そしてその本質(滅びの元凶)を見抜く目が未だなく、よってそれらを立て直す為の有効な方法論、対抗手段を打ち出す事も出来ず、その流れを留める事が殆ど出来なかったと言うが現状である。

日本伝統武術というものはここ半世紀ほどの間に殆ど全ての古武芸継承師範を次々に失い、遂にほぼ完全崩壊したと言う事であります。


●三段「武芸哀悼」


既に滅び去った偉大なる日本秘伝武芸の實相

いかに嘆いても死児の蘇り等、ある訳もなく、仏前で齢を数えても確かに詮無く、そしてそれは何とも虚しい事ではあります。

それはその通りではあるが、ただ我が日本国においてこそ世界無比、超絶的にしてグレートなる「秘伝流儀武術」というものが完成された、かつて確かに存在し、隆盛し、無数の達人名人たちを輩出していたという事実のみは記録しておきたいと思うであります。

かつての栄光を誇り、鼻を高くしたいというのでは決してない。むしろ恥を忍んで血涙をインクになしてつづる悔恨、懺悔の反省文である。また悲しみと別れの言葉……神聖にして偉大なる人類の至宝、究極的武術文化の終焉に対する悲しみの弔辞文なのであります。その思い出は管理人においては余りにも多く、冗言は控えつつ徐々に書き綴ってゆきたい思います。


世界無比なる日本の流儀秘伝武術

さて、再びのお立合い。

令和への御世代わりを待たずして遂に滅びしてしまった「日本古傳武術」……それは確かに世界に類例のない大変に不思議な武術傳ではありました。今から五十年位前にはギリギリ何とか存在していたが、現在殆ど消滅してしまったという世界無比なるかつての日本古式武術の實相について述べてゆきます。

世界各国、色々な地域にそれぞれ独特の伝統武術というものがあり、中々に高度な技術傳を未だ傳えている国も世界には現在でもある程度存在しています。いや客観的にとらえて、「現代の日本武道」何ぞより、「武術」という立場において、遥かに奥深く、極めて高度な武術体系を保有する国が各地に結構存在する事をまずは認識しなければならないと思います。

しかしながらその様な中でも「(真正のかつての)日本古傳武道」は特殊かつ独特であり、本当に超絶的にしてより奥深い文化体系である……いや、あったと言う事を獅子吼(ししく)する者であります。

正に日本独自にして世界最強なる日本古傳武芸……それには色々独特の部分がありますがそれそれ凸国武術には見られない極めて特殊な部分です。順に挙げてゆきましょう。

@古典武術である事

第一の特質は同じ「伝統武術」といっても単なる「古傳武術」ではなく、「古典武術」である事。即ち各国に古くから伝わる伝統武術ではなく、ある時期に天才的な武術名人、各開祖たちによって編まれた完成形の「古典的武術」であるという事であり、それが何百年も技術と道統が断絶する事なく、それぞれ連綿と継承されてきたという事。こんな奇妙な形態の武術は世界には殆ど無く、恐らく日本武術のみの一大特徴であります。つまりこれが流儀武術の完成という事ですが、日本武術と雖も最初からその様な武術文化における究極の高みにあったというわけでは必ずしもありません。その醸成は戦国後期、十六世紀中ごろ位に、日本国のみにおいて、初めてやっと形成されてきた極めて特殊な武術文化形態であったと考えられるのです。ただ日本の「流儀武術」に準じたスタイルを持ち、開祖の古典技法の墨守を自称する武術も世界の中に全く存在しないというわけではありません。しかしながらその伝統における歴史の長短問題、その質と程度も含めて、多くの場合正に自称にすぎず、それを証する文書文献が存在しない場合が殆どである。証する文献の有無と言っても、その量と質の問題がありますが、日本武道ほどきっしりした流儀の古典武術文献、秘伝書類を保有する国はありません。

実際、世界の中で間違いない「古典武術」として誇れるのは日本古流武術のみである……いやあったと考えれるのです。

A秘伝武術であるという事

真正の古流武術ならば、巨大な教傳体系を持ち、切紙傳から初傳、目録傳と順次伝えられ、そしてその奥に極意口傳、奥義秘傳、必殺秘技等の厖大なる真に奥深くも神秘的なる武術秘伝法世界をちゃんとした体系として構築しています。これは西洋系スポーツ武道(格闘)文化には余り見られない独特の部分ですが、残念ながらこの奥伝部分は現代武道、現代式組織古武道には殆ど引き継がれる事なく、現在殆ど完全に消失したものです。当サイトはこの部分の本質と實相の解説と記録を大きな目的とするものです。

古い形態の西洋系武術文化、そして特に日本以外の東洋系伝統武術であるならば基礎的な武術技法の奥にかなり超絶的な武術秘伝技を多数保有する国も世界にはある程度現存しており、その奥深さは現代の日本武道を遥かに凌駕するものと観察できます。しかしながら、それらと雖も真正の日本古傳武術の如く、ちゃんとした秘伝書、文献類に裏打ちされた厖大かつ深いものでは必ずしもないという事であります。

B伝授巻を通じての流儀継承

日本の古典武術は戦国後期位から秘伝書、伝授巻というものを作成し、各門人の稽古進捗と心境に応じて伝書を発行し流儀の継承をなしてきました。これは殆ど間違いなく日本武術の一大特徴であり、日本古傳武術が世界に冠絶する由縁であります。

C多次元無限並行武術世界の構築

武術の文化的発達は「民族伝統武術」から、各開祖を持つ「流儀門派武術」への推移と言えるかも知れません。しかし世界の伝統武術がすべて、その様な高次の段階の武術に発達を遂げたわけではなく、多くは「民族伝統武術」の段階に留まっています。「流儀門派武術」まで昇華したのは世界中の武術の中でも極一部にすぎません。

ともあれかつての日本古傳武術(流儀武術)の段階は後者に属しますが、この様な武術文化のビッグバンをおこした武術文化は世界でも本当に僅少です。この様な段階に達すると単一的な民族武術の有りようを遥かに超えて超絶的なる多次元無限並行武術世界に入ってゆく事ができるのであります。そしてその中でも「流儀門派古典武術」という次の段階の高みに達したのはかつての日本武術のみと言えるかと思います。


日本古傳武術の特徴は細かい点をあげてゆけばまだまだ続くわけですが、その本質を明らかにする事こそが本サイトの目的の一つであり、此処では長広舌を少し抑え、別空間にて時間をかけて徐々に論じてゆく事とします。



●四段「秘伝封印」


敗残兵としての都落ち

四十年近くも東京新宿の地に住み、活動を続けてきましたが、諸事情により新宿住居を立ち退く事となり、平成の最終年からどういうわけか、図らずも八王子高尾の地に居を移す事となりました。新宿の地で尊き日本の古傳武術の保存と継承に心身を砕いたつもりではあったが、その活動は殆どすべて失敗、徒労に終わりました。

それは武術文化ジェノサイド勢力との冷戦とも言える情報戦における激しき攻防戦ではありまたが、殆どすべての戦において敗退し、その期間を通じて残念ながらは日本全国の古傳武芸は最後の流儀継承師範を次々に失って殆ど全て壊滅し、管理人自身も自己の古傳武術の次代への継承は断念しました。

つまり完全な負け戦の敗残兵として都落ちするという大変に情けなくも、真に惨めな構図となったわけであります。


天狗傳武芸根源の地に武芸秘傳群を封印す

本丸若松城が黒煙を上げているのに対して、如何ともしがたく為す術もないが、といってただちに鋒(きっさき)を返して太鼓腹に突きたてるほど純情でもなく、老兵は消え去るのみ……。その意味では都落ちは丁度よいタイミングであったのかもわかりません……?

しかしながら、本当に大切なものを失った事が判明した事のショックは我にとってはやはり余りにも大きく、気づかないふりをしながらも次第にひしひしとそのその寂しさが胸中にて巨大に膨れ上がりて破裂し、慙愧、後悔と言う濃塩海水が溢れ出て、それを全身に被り、身心の奥の傷口に次第に滲みる様になっていった。余りにも重大なものを失い胸にぽっかりと大きな空洞が生じてしまい……本当に辛くて寂しくて生きて行けそうもなかった……。

「愛するものが死んだ時には、自殺しなきゃあなりません。愛するものが死んだ時には、それより他に、方法がない。……」

いや、確かに中也さんの仰る通りではある。……志を得ぬ儘陋巷に呻吟して、虚しき日々を送るよりはイッソ……とも思うが、ただ今少し、憂き世にしがみつき、生き恥を晒しながらでもやっておかねばならない事がある。

古代支那に於いて宮刑なる究極の辱めを受けながらも生きながらえて大業をなし遂げた至誠の大国史家の事を想いつつ……等と言った様の譬えは本当にかなり烏滸がましくもそもそも比べ様にもならぬかも知れぬが、奥の心には通底するものがあると信じたい……そして……。

と言うのはつまり、日本武術の完全壊滅の事実、その問題は別として、図らずではありますが、八王子高尾の地は正に日本武芸の根源である「天狗傳武芸」の所縁の地であるという事であります。

それほど選んでなした選択ではないが、これは必ずしも偶然ではなく、何かしかの計らい、また必然であるのかも知れません。

というのは「天狗傳武芸」とは管理人がかつて学んだ地元古流武術の根幹の部分であり、現代における一般的な古武道と言われるものにおいて、殆ど完全に欠落した重要な部位であるからであります。

正統なる流儀武術の次代への継承は殆ど不能でも「天狗傳武芸」の本質、その一部分のみであるにしても、それを同地に何かしらの方法論を通じて文書封印する事はある程度可能かも知れない……とは感じたのであります。


現在の活動

「天狗傳武芸」そして勿論、管理人が継承する所の凡そ三十余流儀程の真正の「古流武術」の全体系の形解説書と極意解説秘伝書群の作成とせいり、そしてその封印の作業、そして日本武術史研究における歴史史料群の整理と解析の作業を八王子高尾の地でなさんと、今身構えいるというわけです。また蒐集したかなり膨大なる武術秘伝書群は勿論、伝承する各種武器類、稽古道具や本科の刀剣類。槍や薙刀等もかなりの数量あります。刀装小道具類や鐔などもかなりの分量がありますが、これらも整理してどこかに封印したいとも願う者であり、それが管理人の最期の仕事かと思います。


そしてそれらの作業と並行して、現在「天狗傳剣法」を中心に八王子の体育館や市民センター等を利用し、週に一度ほど、毎日曜の午後に「古傳剣術」、そして次の段階として各流武術等を講習する時間帯を設ける様になりました。これは入会金も月謝もない、全く無料にて行う活動であり、それを通じて古傳武術の秘伝法部分のある程度の実伝保持をなしているというものです。

この時間帯は武術に志のある人は概ね受け入れていますので、八王子近隣で御興味のある方は電話で問い合わせてみてください。見学等は出来ませんが、体験稽古等は概ね受け入れています。

また新宿の地では月に一度(月曜の夕方が多い)程、大東流合氣柔術史研究の会をなしています(これは実技稽古会ではなく歴史の解明研究会です)。

いずれにしろ自己の武術流儀の次代への継承は既に断念した立場であり、管理人も他の浮世事には殆ど興味もなく、武術の正統な継承は断念した状態です。よってあらゆる活動においてお金や利益等とは絡ませず、全て無料にしてなす活動となっているわけであります。


●天狗傳武芸甕槌会(新宿・八王子)

●大東流合氣柔術史探求会(新宿)

●日本古傳極意剣術水月会(八王子)

[現在ビギナー稽古者の受け入れは八王子の日曜日に活動をなす水月会のみとしています]

電話080−7898−6583

メールアドレス ryuuguusai@outlook.jp