総論
●初段「事実認識」
滅亡した日本古伝武道の真実
先ずは最初に事実認定からなしておきたいと思います。それは日本の伝統的古傳武道は残念ながら既に殆ど完全に滅び去ってしまっているという事実です。
日本の武道は戦国後期位の時期に遂に武術の最終形態である、「流儀武術」のとして一つの結実をなし、そして江戸期における封建的武家社会という武術種子発芽にとって最適の土壌にて極度の発達をなし大輪の華を全国各所に咲かせました。正に極東の一孤島「日本国」において世界無比とも言える奥深い超絶的秘伝武術世界を構築したのであります。
武術大華は江戸三百年を通じて徐々により美しく成長しながら枝葉を増し、全国津々浦々まで超絶美の武術華が万朶に咲き誇りました。
という事はつまり、幕末こそがまさに日本武術の最高頂点、大爛熟の刻であっと考えられるのです……。しかしながらその頂点を極めた正にその刻、それを一歩出でた、次の一瞬先は断崖絶壁の垂直滑り台(奈落の大落とし穴)であったのです。
実際の所、隆盛した万余の武術流儀の九割以上が維新時を境に、文明開化、西洋礼賛、旧弊遮断、西洋文化妄信等という様な様々な人々の意識変革、歪みと言った大波小波を被って水没し途絶してしまいました。
ただしかし、それでも明治大正、そして昭和の初め頃までは極一部の有志達によって幾つかの流儀は辛うじて、細々とながら何とかその貴き道脈が手継伝承されていた事も事実であります。さりながら大東亜の大戦を経た後、再びの極めて大きな次の意識変革の影響もあり、それら希少に残った貴き流儀武術の殆ど全てが終戦後、次々と消滅して行きました。
戦後の昭和、平成を通じ、そして遂に令和の御世を迎えましたが、令和日本という時代は古典武術の道統は勿論、それらが保有していた厖大なる極意秘法、武術魔法傳群の殆ど全てを消失してしまいました。即ち、現代日本とは武術伝統の存在しない無味乾燥世界と言えます。要するに三島氏が五十年前に警告、予言した所の何とも国籍、文化のない、ニュートラルなる無文化の砂漠地帯に日本はすっかり変容してしまったのであり、これからの日本の若人は少なくとも武術文化に関しては砂を噛んで生きて行かねばなりません。
かつての日本古傳武道における完成度の高さと偉大さ、そしてその隆盛と武徳等に思いを致す時、現在の日本の状態は日本武道の法統が遂に完全消滅した法滅塵の時代と断定してほぼ正解として捉える者であります。
日本武道消滅の因由と元凶
崇高にして偉大なる日本古傳武道が遂に消滅してしまったのは戦後の意識変革や凸国からのバイアスを通じた文化ジェノサイドの為と観察できますが、しかしながら凸国からのバイアスは占領期におけるある一期間を除いては直截的なものでは必ずしもなく、それ以降はかなり歪んだメディア情報戦を通じてのある程度間接的なものでありました。この様な凸国の思惑や工作はある意味、寧ろ当然の事であり、そんなものを日本武道消滅の真因とはしたくない。それは他罪的な発想であり、そんなものに滅びの因を求める事は、何とも情けなく、また本当に甲斐ない事であります。
そんな凸国の事何ぞより、それらの影響下、自己の利益の追求に勤しんだ国内の似非文化人や曲学にて世を渡るインチキ学者バラの事がとにかく問題ではあったでしょう。そしてそれに踊らされた目なし民衆たちの愚かさもまた……。実際世界無比なる人類武術文化の究極到達点ともいえる日本の秘伝武術を弊履の如く捨て去ったのは外ならぬ日本人自身である事を認識しなければなりません。
今となっては言ったところで栓なく、如何に嘆き,反省、慟哭した所で、滅びた日本武道が蘇ると言う訳ではないが、未来において同じ轍を踏まぬためにも正確な事実認定と糾弾はなしておくべきであると考えるのです。
●二段「武芸崩壊風景」
ここ半世紀間における日本武道の崩壊過程
ここから管理人の体験と見聞に元ずく日本武道崩壊の光景を描写してゆきたいと思います。
今は昔、それはもう既に半世紀、いや六十年近く前からの本当に古ぼけた時代からの話になるのでありますが……。
さて、お立合い(パソコン閲覧者は座位での閲覧もOK)。
かく申す管理人は関西における地方小都市に生まれ、人脈と縁があり、幼少より剣道や柔道、また色々な古流武術等に触れる機会も多く、実際の学びを続けてきました。また別の(かなり不可思議な)縁もあり、独特なる琉球の古傳拳法「昔手(ムカシンディー)」、各種琉球兵器法を学ぶ機会も得ました。
しかしながら管理人が学んだ剣術・居合術は地元流儀ではあったが、その当時においても極めてマイナーな流儀で殆ど文献や小説等でもその流名を見つける事は出来ませんでした。ただ学んだ柔術は歴史的立場からは割合著名な流儀を学んだのですが、色々調べると流儀名は著名であり、確かに柔術における名門中の名門ではあるが、その正統な道統は江戸の地に傳脈した流儀であるらしく、管理人が学んだのは傍系なのかと考えられるのです。
いや、傍系なら傍系でもそれはそれでよいのですが、『日本武道全集』等で古い伝書を見てみると流儀内容は余り合致せず、これは大変に不思議な感じがいたしました。
そして琉球拳法といえば要するに沖縄の「空手」という事になりますが、一般に行われる所謂「近代空手」とは技法内容、特に稽古法等は全く異質なもので、後に一般的な所謂現代空手の稽古にも触れて大きな違和感を強く感じた事は事実であります。管理人の師は「古流琉球拳法」「古傳琉球拳法」、また「昔手(ムカシンディ)」という様な名称を用いていましたが、技術内容は「唐手(トウディ)」と「昔手」の両方を含んだものでした。
この内の特に「昔手」の部分には本当に厖大な拳法技術と奥伝秘技が含まれているのですが、現在まとまった体系としてはまともに伝える「空手」の道脈は殆どないのではないかと思います。沖縄・本土、また世界を見渡しても殆ど見当たらないようです(何十年かを経てこの琉球古傳拳法「昔手」と琉球傳兵器法の道統は管理人が継承する事となりました)。
管理人が継承する各古傳武術の多くは殆ど無名であり歴史な部分においてはまだまだ解明しなけれはならない問題は山積みなのですが、ただ管理人がかつて地元にて学んだ剣術、居合術、柔術、そして琉球拳法の技法内容は極めて高度であり、大変に優れた第一級の武術である事は、後に他の多くの古流武術を学び、また全国の現存古流武術を探求し、以後五十年程に及ぶ研究と解析を通じ、また実際に見聞してきた立場においても断言できます。それは現代における日本のどの武道にも既に殆ど存在しない膨大にして超絶的なる技法傳と秘法傳、そして真に奥深い極意心法傳を含むものでありました。
古式剣術傳の途絶
「柔術」「琉球拳法」等の体術系の武術の事は別として、管理人が学びの主体としていた地元の剣術・居合流儀は先代の先生も後継者を得ぬまま亡くなられ、稽古人も殆どいなくなり、師範方も稽古を殆ど止めた状態となり、仕方がないので次に他の居合や剣術流儀を探求しました。地元で行われる他の居合を中心とした幾つかの流儀を求道して実際に学びました(地元流儀のみには拘らず、多くは地元で活動する所謂現代式古武道、居合道、剣術等です)。
それらの流儀の概ねは現代においてある程度組織化されて活動する所謂「古武道」と言われる割合著名な流儀群であります。そしてそれらの各流儀を新たに学び初めて、その内容には少なからずの衝撃を受け……というよりそれぞれかなり奇妙な感じ、大変に大きな不満と、そして何ともどうしようもない様な強い飢餓感を覚えました。この何とも言えない物足りなさは一体なんだろう……かと?
管理人の学んできた地元流儀とはかなり感じが違う……余りにも違いすぎる。いや流儀が違うのであるから内容が違うのは当然ではありますが、武術という立場においてはなんとも違和感が強い。その違和感における具体的な理由を少しあげてみます。
@形数の少なさ
各流儀の伝承形は稽古を通じて概ねは修めたつもりですが、そんな事が短期間にて急に出来るのかと疑問に思われるかも知れません。
しかしながら実際的には、そもそも新たに学んだ各流儀の形の本数が何とも少なく、習得にはそれほど時間は掛かからなかったと言う事がまずあります。また概ねの流儀は管理人が直接流儀の師匠を訪ねて殆どマンツーマンで学んだもので、加えて全体の体系が僅少な事もあり、習得にはそれほど時間は掛かりませんでした。また概ねは技法テキストが書籍として発行されているので、それらを通じて復習する事も可能であります。
A形の単純さ
流儀にもよりますが、管理人が既に修していた地元流儀にみられるような、高度で深く、そして巧妙にして合理的、実戦的な形は余り他流では見受けられない。これは伝統武道としてかなり不審に思った事は事実です。そしてより高度な奥伝技、秘伝技というものがどういうわけか殆ど伝っていない事もかなり物足りない感じが致しました。
B形演武のみの稽古
他流(現代式組織化古武道)の学びにおいて最も不審に思ったのは形演武稽古が中心……というより稽古の殆ど全てであった事である。本来の古傳武術が内蔵するはずの深い錬功をともなった独特の稽古法が殆ど見受けられない(この部分こそは各流儀が「武術」として機能する為に必要な真に核心の部分のはずなのですが)。
C不明確で出鱈目な術理
流儀によってはある程度本数もあり、技の形自体は割合高度なものを保有する流儀も皆無ではない。しかしながら各形の術理が何とも不明確で師範の説明を含め、書籍等の解説もかなり無茶苦茶な事を書いている(特に居合道は酷い)。
居合としての独演形はともかくとして、その次にあるはずの組太刀形の部分が殆ど欠落しており、よってこれでは形の用法、理合が不明瞭である。そしてそれに付随する独自の練功法の部分(天狗傳剣法の部分)も継承されていない。……という事は実戦武道としては殆ど機能しないという事になります。
D伝書の不在
先んじて学んでいた地元流儀で見られる様な古式の伝授巻を通じての伝承をなしている流儀は殆どなく、概ね表彰状的段級証書を発行している。これでは古武道どころか正に現代武道そのものである。地元流儀はマイナー無名な流統ではあったが、ちゃんと手書きの巻物、秘伝書類を通じて教傳していましたし管理人も直筆伝授巻を頂きました。ただ琉球傳武術には古典的な伝書類は元々存在しませんでしたが、管理人の師は手書きのかなり膨大な口伝書を直接いただきました。
……現代式古武道への不満と問題はまだまだありますが、本サイトは現代古武道の誹謗が目的ではないので必要部分のみの指摘に止めます。
最後の師範方からの秘法手継
地元で探求すると確かに居合道流儀(全国的組織化古武道)はそこそこ存在したが、所謂古流剣術といえる様な流儀は余り伝承がありませんでした。文献を通じて探求して幾つかの流儀の存在を感知し、そして訪ねましたが、残念ながらそれらの流儀の概ねは既に失傳、もしくは流儀の活動の途絶えた状態であり、余り完全には学ぶ事はできませんでした。ただこの時期はかなり遠方まで足を延ばし、各真正なる古典流儀の最後の師範方々に邂逅する事が出来、最後の謦咳に接した事、そして貴重な傳の手継を幾つか頂くことが出来た事、また本数の少ない流儀は概ね全ての形の傳を修める事も出来た事は大変によかったかと思います。
江戸系名門流儀群
地元において剣術に限らず、様々な古傳武術を色々探求しましたが、残念ながら地元古流武術は既に殆ど全てが壊滅しており、管理人が学んだのが最期の邂逅となりました。
地元流儀の全滅にかなりがっかりしましたが、間もなく次には東京に居住する事となり、江戸系古流武術を学ぶ事が出来る様になりました。
江戸系名門流儀(まさに文献や小説に多出する様な名門中の名門流儀)を数流、剣術、居合、柔術等色々をそれぞれ学ぶ機会を得ました。体験的に「古武術」「古流武術」といっても組織化された所謂「古武道」は駄目と言う観念が既に強かったので、あくまで古式伝承法を墨守する真正の古流武術を選んで学んだつもりではありました。
やはり残る飢餓感
しかしながらやはりかなりの違和感と何とも言えない……どうしようもない様な強い飢餓感を覚えました。
東京に出て真っ先に感じたのは同地の饂飩蕎麦の不味さで、是れには先ずびっくりさせられましたが、江戸系古流武術の学びにおいても同じ様な感じ、いや、もっともっと強い不満感を抱いたのでありました。古典形は古典形としてはよいが、「天狗傳武芸」、そしてまた特に「武禪道」の部分が殆ど欠落している……。学んだ柔術の古典形はそれなりに古式でしたが、乱捕、組討系の傳は殆ど講道館式柔道に置き換えられて流儀の独特のメソッドの伝承は殆どない……。しかしそれも当然であったのかもしれません。関西系の古式組討法を伝えている流儀など、当時においても管理人が学んだ柔術系脈のみ位であり、それも後には省略され古式組討法をちゃんと学び、また流儀の直筆秘伝巻を頂いた最期位の門人に管理人自身がなってしまっていたのでありますから……。
江戸の武術流儀の欠落部分
それはともあれ、江戸の流儀は、音に聞こえた名門流儀だけあって史料も豊富であり、形体系も割合ちゃんとしていたが、武術としてはやはり何か物足りない。関西系の地元の古典武術で見られた様な独特の深い錬功の法、各種秘法口伝、驚異の奥義秘剣等、武術としての重大な部分がスッポリと抜け落ちている様に感じられたのである。また日本武術というものは学びの稽古の最初の段階から、各階級において様々な口伝、奥秘の部分が満載なのが本来的な古流武術の本質であると管理人が考えるが、この部分の伝承が殆ど欠落している。
これでは日本武道を外面的には称しながら、実体的には殆ど西洋式体育と変わらないし、日本式の旧弊を引きずっている部分を見れば西洋文化にも遙に劣る……。
勿論武術流儀というものは各流様々な形態を取り、内容も確かに色々であるが、関東系古流武術の多くは武術として極めて重要な部分がスッポリと欠落している様に感じられた。何よりも各流儀稽古の内容と稽古法に何とも面白みがない事は逆に大変不思議な感じがいたしました。
学びの面白味なく、辛いばかりの武道練習は、旨味なく、辛いばかりの関東饂飩と同じく身心には全く宜しくない……。よって関東の地でも食べれる、極上の関西系饂飩と深い武術極意と秘法傳を内蔵する真正の古式武術を欣求、探求しました。
また関東に於いて極上の関西饂飩を頂く事はかなり難しいが、ここ何十年かを通じて町の路面系のセルフ饂飩蕎麦店においても、幸いかなり洗練されてきた様に思います。例の茹で置き麺を出す安物店の方が割合少なくなってきたと思います。出汁の味が関東風なのは致し方ありせんが、それでも探せば関東系なりの美味しさの出汁の店もあります。天ぷらなども大量生産品ではなく、ちゃんと自店で揚げる店も多くなりました。関東系の饂飩蕎麦の極上店は関西饂飩とは違った美味しさがある事は管理人も認識しています】