日本武術壊滅の真因/トップ

劣化文化人たちの問題発言/概説

映画/テレビドラマの問題発言

保守愛国系文人の劣化発言

反日と捏造等の問題発言を繰り返す醜悪なる文化人た

堕落した為政者と反日の役人たち

映画/テレビドラマの問題発言



其ノ1「早咲きの花」
何でその発言になるの 英霊に対する侮辱
テレビは元々置いていないし、映画館等は絶えて行く事もないが、DVDレンタルで時期遅ればせながら映画も鑑賞する事もある。また図書館等で、映像データを借りてみる事も多い。八王子駅前のクリエイトホールの図書館によって『早咲き花』なる映画を借りて鑑賞。
戦前、終戦間近くらいの時期とその時期に幼少の頃過ごした老年の女性(浅岡ルリ子)の話で、その終戦間近の日本の小学校の状況と現代における状況とを思い出しながらコラボすると言う感じのストーリー。終戦間際の本土における地方(豊橋)の学校その他の状況を表現して、それなりの価値ある映画かと思ったが、最期の主人公のセリフは少し引っかかった。
「(戦争を)二度と繰り返してはいけない)」
「戦争は負けでも勝っても悲惨……そんな戦争を二度と興してははならない……」
戦争の悲惨な過去と体験を回想しての言葉であるが、何故この様な発言になるのだろう? 「勝っても悲惨」といっても別に「勝った」体験をした事はないはずの様に思うのだが?
また大義の為に命を捧げた英霊達に想いを致した時、この様な言葉は如何なものかと思うのである。祖国存亡の大危難に対して身命を賭して戦った英雄たちは皆悲惨犠牲者であるのだろうか?
勿論言葉と言うものは色々な意味合いを含み、また如何様にも解釈でき得るものである。
しかしそれならば「繰り返していけない」とか「戦争を興しては」と言う言葉の主体、主語は一体誰なのだろう?
全く先入観無しに鑑賞したが、最期辺りのこの様なセリフは非常な違和感と現代の映画文化におけるかなりの歪みを強く感ずる所の者である。


其ノ2 「斬」
流儀武術と日本刀の本質の隠蔽
極最近、レンタルにて鑑賞した時代劇映画である。内容の陳腐さ、チンケさ等、色々感じる事はあるが、それは余人が別にやってくれるかと思うので、省略。
日本武道の立場から問題点を述べるに止めます。
出だし部分、鐵を熱し、折り返し鍛練して日本刀を作る過程の場面から始まり、次に完成した日本刀を映し出すと言う演出であるわけであるが、出てきたものは正にチンケな拵えに模擬刀であった。大分昔に殺陣に真剣を用いて事故が起こってしまった言う問題点がある事はわかるが、何も殺陣に真剣を用いよといっているわけでは決してない。世界に類を見ない日本刀の華麗な刃紋と見事な地肌をする映像としてする事が何故に出来ないのかとは思うのである。そして世界最高の金工技術の世界を現出した精密無比なる日本刀の小道具類の魅力を隠蔽しようとするのだろう?
その他の部分の刀装飾表現も酷いの一語。そして例のよっての流儀も形もない木刀同士による撃ち合い稽古。凸国からのバイアスに対して毅然として實相を映像化する映画人は存在しないのかと情けなくなる。……もう日本の時代劇など見たくない!