武藝時代考証/目次
武藝時代考証/概論
和製望遠鏡「遠目金」の不在

武藝時代考証/概論


日本時代ドラマこそ捏造

近隣某国においての時代ドラマの時代考証の酷さは良く聞く話であり、実際かなり凄まじいものがある様である。しかし管理人はここの部分においては全く鑑賞しておらず、伝聞での認識しか出来ない。そしてそれとは別の話として、日本の時代劇における時代考証もかなり出鱈目であると我は感じる。

そもそも凸国の事を詮索、批判しても詮なく、バイアスをかける事は殆ど不能であり、またその必要もない。そんな事よりも、自国の時代劇における時代考証の出鱈目こそを指摘し、批判し、そして改善策を練るべきであると我は考える。なんとならば此処には単に学問的胡乱さのみならず、陰謀と思想工作における意図的な捏造部分が多数含まれていると考えられ、ここの部分においては実際的な糾弾がかなり必要かと思われるからである。

よってここの部分の解析をなして行きたいと思うが、ただ時代考証学全般における批評、解説は専門外かつ浅学な管理人には些か荷が重い。ただ武藝、日本武藝史は我の専門であり、そして江戸期科学技術史研究はライフワークでもある。よって概ねは「武藝」と「科学技術史」の範囲に絞って解析して行きたいと思う。


問題点

武藝の立場から時代劇をみると真に奇妙な表現が多く、非常に宜しくない。先ずは問題点を思いつくまま挙げてみよう。

@流儀武術の隠蔽

これは近年における闇の勢力からのバイアスの為であるのか、とにかく時代劇において「流儀文化」が殆ど表現されなくなっている。これは正に武術文化ジェノサイドであるが、凸国からの工作は勿論としても、いま一つプラスして日本人の劣化という要素もかなり考えられる。先般百田直樹氏の時代小説『影法師』をたまたま図書館で借りて読んでみると剣豪が結構出てくるのに、日本武術文化については殆ど無知の人らしく、流儀名は「新陰流」か「一刀流」程度しか表現されていなかった。池波正太郎氏あたりもかなり酷かったが、時代小説を書こうというのであるなら、世界に冠たる日本武芸の事をいま少し勉強して頂きたいと願う所である。

そして小説もしかりであるが、近年の時代劇の武芸表現は本当に酷いの一語であり、流儀名ですら殆ど出てこない。これは武術文化への無知……そして加えて確信犯的な工作と隠蔽が原因だろう。

A武術稽古法の出鱈目

道場における武術稽古の表現の酷さは今に始まった事ではなく、かなり昔からであったかと思うが、それが全く改善されず、そして近年はそれに輪を掛けて酷い。江戸期の剣術稽古というものを素面素小手の木刀自由稽古的に描かれる事が殆どあり、こんな稽古法など存在する筈がない。

B流儀における独特の稽古道具等の不在

江戸期の流儀武術というもは各流独特の様々な稽古道具が工夫され、非常に面白い道具文化が多数存在したが無知と不勉強、経費削減、そして意図的な文化隠蔽の為か殆ど表現されない。

C剣術以外の武術錬磨

剣術以外の武術表現になるとより酷くなる。古典柔術形が演武されたのを見た事がないし、古式乱取法もしかり。當身のやり方も古傳柔術の古式拳形を用いていない。そもそも形か乱取か不明確な稽古法ばかり……。

Dいい加減な槍術表現

槍術といえば殆ど短めの手槍程度の表現ばかり。一般に正統な槍術と言えば仕掛け槍で八尺五寸以上、素槍で二間以上位が普通である。手槍術は棒術傳の含まれるのが普通。

そして槍の種類も殆どが素槍、せいぜい十文字鎌槍位までしか出てこない。大身槍や鍵槍が極たまに見かける程度。それもその様な仕掛け槍の実際の使用法表現は見たことがない。

また日本独自の槍といえる管槍は見た事するない。



……大小様々な問題点はあるが、やはり直近に強く感じるのは「流儀文化」の隠蔽体質だろう。これが本当に日本人の劣化のみで起こった事なのか、かなり不審には思われる部分である。いや寧ろ、陰謀説的な凸国からのバイアス、陰謀説を強く唱えたい所なのであるが、ただ現代の日本文化人における武術音痴のレベルが本当に絶望的な状況なので、断言しにくいという我自身のジレンマがあるのである。

というのは、例えば百田氏はニュース番組のコメンティターとしての発言の中で、「日本刀は鎌倉期の古刀が凄い。正宗、村正は鎌倉やからね」と発言していたし、また剣豪小説を書いている高橋某という時代小説作家が後書で「『シヅサブロウ』という刀鍛冶は知らないが……云々」と書いており、かなりびっくりさせられた事があるからである。

一般人ではなく時代小説に関わる人脈のこの様な驚愕発言をみると、日本の時代劇の行く末も絶望的な思いになる……いや、というよりもう駄目だろう。

それを言っても詮ないので時代考証の解析を続けよう。


武芸文化表現の誤謬

色々細かい問題をあげればキリがないが、ともかく最近のテレビ時代劇には流儀名が出てこないという傾向を強く感じる所である。そして武家作法としても奇怪な部分も大分見受けられる。少し気づいた点を思いつくまま幾つか指摘してみよう。


@刀の下緒作法の出鱈目

歌舞伎方式を引き継いでいる為なのか、現代の下緒作法は殆ど古式ではない。日本傳の礼儀作法は多様、流々であり、絶対の「正否」は断言できない事が多いが、時代性と人脈を鑑みての作法を選択すべきであるが、殆ど間違っていると我は判定する。

A日本刀の操作法

日本の殺陣師たちのレベルは本当に凄く日本武芸に対する無知は天井知らずである。時代劇で慣習的にやっている誤謬は態とやっている可能性も高いが、一応問題なので指摘しておこう。「鐔鳴り」「鞘鳴り」「指拾い納刀」「しゃくり納刀」「目差し抜き」「目差し納め」「血拭いの省略」等々……。分かっていてやっている可能性も少しあるが、やめて頂きたいとは思うのである。

B刀の手入れ法

手入れ作法はかなり出鱈目、もしくは省略式である。映像的には致し方ない感じもあるが、略式表現はともかく、フィルムを切らずしての嘘はやめて頂きたいとは思うのである。

C刀自体もちゃちな模擬刀ばかりで酷いの一語だが、刀装飾はそれに輪をかけて酷い。余りにも安物すぎる……!

D刀装具の意匠についての表現は本当に皆無に近い……酷すぎる。こんな安易な造りの時代劇など段々観る者が少ないなるのは当然である。


細々した武家作法の問題点は他の時代考証家も流石に指摘しており、ただ時代劇製作側としては分かっててやってる事も多いだろう。本来ならは勿論武家を含めたある程度の大家の妻は眉毛を剃ってお歯黒するのが本当であり、武家の妻は家中ではお引きずりが普通である。現代の映像的にできない事も多いかと思うが、女優連の近代的なメークはやめて頂きたいとは思うのである。切腹作法時の白装束の着方も普通式であるが、伊勢貞丈の礼法書によれば右前に着て薄柿色の装束と言う風に解説している。この部分は浅葱色としている解説書籍もあり、流々の作法であったかもしれないが、一元的に表現するのはかなりの手抜きである……。

しかしこの辺は我の専門外であるので、多くを省略する。ただ江戸期の科学技術史研究は専門であるので、この部分を少し分析しておきたい。


江戸期科学技術史との齟齬

@西洋においても「コロンブスの望遠鏡()」と言う時代齟齬の問題提起があるが、これは日本で言えば「信長の遠眼鏡」という事である。

そして先般『関ヶ原』の映画を見ていたら家康が南蛮渡りの遠眼鏡を使用していた。家康が西洋製望遠鏡を初めて入手した武将である事は事実であるが、それは晩年に近い頃であり、関ヶ原の頃は西洋でも望遠鏡は発明されておらず、この世に存在しないものを入手できるはずがない。


※ [望遠鏡は十七世紀初頭、1608年頃にオランダの眼鏡屋リッペルハイに依って発明される。つまりコロンブスも信長も使えるはずがない。家康のみが、辛うじて1613年に輸入品を見聞した事の記録がある。西洋で発明されて僅か五年後である点は凄く、そして日本はそれを基盤にやがて独特にして華麗なる和製望遠鏡「トオメガネ」を造り上げたわけである]


A江戸中期以降は金箔唐草文様のかなりド派手で華麗なる和式望遠鏡「遠眼鏡」が登場してきたが、時代劇で見た事がない。(どういうわけか文様の殆どない地味な小道具ばかりを用いるのはなぜ? 高津商会はかなり良質の本物も保有していたはずだが、何故か本物の提出はない。手抜きか隠蔽工作か不詳?)

B江戸後期にいたっては印籠に仕込んだ「印籠遠眼鏡」や脇差し型のもの「脇指遠眼鏡」、根付内に仕込んだ超小型の「根付遠眼鏡」等のかなり驚異の和式変形「遠眼鏡」が登場していたが、時代劇で見た事がない。

C完全日本式時計は「和時計」「大名時計」等と今日称されるが、最初の完成は家康の頃位。そして江戸期を通じては様々な日本式変形時計も発明されている。すなわち「尺時計」や「印籠時計」「卦算時計」等である。これも時代劇で見た事がない。

D分かっていてやっている可能性は大だが、日本的時計の代表格である二挺天符時計の二つの天符を同時に動かすのはやめて頂きたい。そしてリズムが早すぎる。

E江戸中期以降は「遠眼鏡」に加え独特にして華麗なる和製顕微鏡もかなり登場してきた。これも映画で見たとがない。何故テレビ空想時代ドラマ「仁()」に出てこなかったのだろうか?


※ [人気テレビドラマ「仁」に田中儀右衛門が出てきて「万年灯」を製作させると言う演出があったが、これはまあまあよいと思う。割合見事に復元されていたから……。ただこれもやや厳しく苦言を呈せば、「明るさが必要」と言う要請に対しての解答としては頂けない。「万年灯」の明かりなど、行灯や蝋燭以上に明るいものでは決してないからである。幕末のこの時代ならば人工灯としては西洋ランプが一番明るい筈である(菜種式、石油式に関わらず万年灯なんぞより遥かに明るい)。芥川龍之介の短編小説『雛』にその様な描写と解説が現れており、芥川氏の描写は概ね正確である]


F性能はともかく江戸後期から幕末にかけての台時計は装飾的は極度の発達をなしており、真に華麗な時計が多く製作されてきている。この時代を描くならば登場させてほしいが今のところ見たことがない。確かに幕末においても江戸初期型の古式時計も平行して製作されいたと思われるので、この時代でも古式和時計が登場しても捏造とまでは定義しにくいが、ただ江戸後期の丸天符や割り駒式文字盤などの新工夫の部分が表現されなれば幕末に於ける時代性の表現としては失格である。

G通り一遍の古式和時計は時々登場するが、天文方の部署には正確な一定時間を刻む「垂揺球儀」と言う精密、精巧な天文時計が設えられたが、見たことがない。


未だ未だ不満はあるが、より詳しい解析は各論の継ぎ足し解説の中で徐々に解析して行きたい思う。


●陰謀工作か劣化無知故か

既に問題提起はなしておいたが、この様な現代の時代劇の体たらくと現状は凸国からの陰謀工作の結果と言う事であるのか、それとも日本人の劣化、無知における自滅なのかと言う問題がある。

それはそれぞれの影響の割合の差異はあるとは思うが、実際的には両方がそれぞれ原因と考えられる。しかしまた別の捉え方をなせば両者は同じものとも言える。なんとならば日本人の劣化は凸国からの陰謀工作、情報操作による洗脳が奥因であるからである。

ただもっと精密に分析するならば、年配系の日本人の劣化の奥因を仕掛けたのは米国を代表とする連合国系であり、そしてその洗脳教育は未だに続いているから若い者であっても日本文化に対する理解は本当に希薄になっている。そして現代に行われる具体的な情報操作や各種バイアスは特定アジアからの闇工作が原因であるだろう。

ただ当サイトを主催する管理人の立場としては特定勢力からのバイアスは出来る範囲で指摘しつつも、実際的な批判と眞實探求、軌道修正の努力は内に向かってなし、劣化日本人への批判の方に向かうべきと考える者である。


●管理人の読み違い

管理人における現状認識における齟齬は、何十年か前の意識として、占領期に行われた情報工作等の傷跡は徐々に消して行けるものと甘く考えていた事である。そしてその凸国バイアスを一元的なものとも認識してしまっていた事かと思う。実際の所昭和から平成にかけては、特定アジアからの闇バイアスが本当に強くなり、日本文化を徐々に浸食していった事、その深刻さに中々気づく事が出来なかったと言う反省がある。

それは近年における時代劇にも現れており、最近の時代劇の表現は本当に酷いの一語である。最近の傾向、その問題点を少し指摘しておこう。


@少なくなった剣豪もの

時代ドラマ自体が少なくなったが、僅かに製作されるそれらも剣豪ものは本当に少なくなり、剣の練達者も殆ど描かれない。侍を登場させても、経営者か料理人、天文学者等の武藝とは縁のない人脈ばかりとなっている。

Aたまに剣豪ものがあっても、やはり流儀名が殆ど現れないものが多い。そして僅かに出てくる流名も通り一遍のメジャー流儀のみか、もしくは全くの架空の流儀のみ。両方とも膨大で超絶的な流儀武藝の世界をとにかく隠蔽したいと言う強いバイアスが働いている様に思われる。

B剣士がでても、とにかく戦闘をやらせたくないと言う意志が強く働いていると観察できる。これは管理人の単なる推測のみというわけでは必ずしもない。実際に時代考証を受け持つ専門家が著書に「大勢を切り倒してバッタバッタと殺戮する様な時代劇は嫌い」と言う様な事を書いている者がおり、そしてこれは実際の出来てくる時代ドラマの内容に連動しているが如くである。即ち実際に内部に入り込み、その様な工作をしている可能性が強く考えられるのである。

C時代性や年代別の感性の差異と言う事もあるが、近年の時代劇はBGMを含め音楽選択が酷すぎる。言葉使いも現代的すぎると感じる。脚本も酷いが、これらの部分を含めて劣化というより意図的な日本文化破壊の方向性を感じるのである……。



以上、近年における時代劇ドラマの全般的な傾向と問題点等を概説してみた。この様な問題点にどう対処して行くかと言う事が重要である。思い切って外科手術して患部を摘出するのが手っとり早いかと思うが、残念ながら反日癌細胞は日本身体にかなり深く根を下ろして寄生してしまっている。

かかる状態において、摘出手術を本体の生命の危険性を犯さずして、転移も許さず、速やかに完璧に出来る無免許医者がいるかどうかは不明であり、高額な手術費用の件を含めてて、いずれにしろかなりの困難性が予想される。

手術が無理として、それでは頓服薬のみで対処できるかどうかとなると、これまた非常に微妙である……。

とにかくいずれにしろ時代劇を通じての情報操作や洗脳、その為の捏造工作はよろしくない。

よって取り敢えず、今出来る事は、時代劇の捏造部分にレーザースポットを當てて焼き切る作業である。時間をかけてでもこれを一つ一つやって行きたいと考える者である。