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武藝時代考証/概論
和製望遠鏡「遠目金」の不在

和製望遠鏡「遠目金」の不在


日本で製作された和式望遠鏡「遠目金」とは

日本時代劇映画ドラマの日本傳流儀武術の隠蔽体質も腹が立つが、どういう訳か江戸期の科学技術の本質もかなり隠蔽されていると感じる。恐らく江戸期と言う封建時代は世界的レベルにおいて、後進国地帯と言うイメージを造り出したいのではなかろうか。

本当の所は分からないが、ただ何故か日本で製作された華麗なる和製望遠鏡がちゃんと表現されていない事が疑問であり、此処には意図的なものを感じるのである。

と言って日本の江戸期の科学技術が西洋技術に勝るものと我も考えている訳ではない。鎖国政策と徳川家の保身による「新規発明」を排除する政策等の問題があり、科学技術が停滞していた事は事実である。論が多岐に渡るとわかりにくいので本項目に題に挙げた「遠目金」について少し解説しておこう。

望遠鏡は十七世紀初頭にオランダで発明され、すぐにガリレオが天体望遠鏡を工作し、天を覗いて地動説を確信したと言われる。

日本には1613年に日本に輸入された訳だが、それを模倣して日本でも望遠鏡が製作される事になる。最初の製作成功の時期は確定できないが、江戸初期には既にレンズ製作技術は日本でも成功していたので、原型的なものは割合早い時期に製作されていたのではないかとは想定できるのである。ただ本当に日本独自の特徴を有する和製望遠鏡「遠目金」スタイルが醸成するのは少し時間がかかった。その出現の維持も完全には確定不能である。しかし少なくとも享保年間には森某が製作したものが神戸に現存している。

以後和紙と漆、そして金箔唐草文様で装飾された華麗なる和製望遠鏡「遠目金」が多く製作されてゆく。

しかしこれらは殆ど時代劇には殆ど反映されていない事が遺憾である。信長は勿論、家康も関ヶ原で望遠鏡を用いる事は本来は不可である。出来れば1613年に望遠鏡が輸入されたと言う事実をちゃんとドラマで西洋初期望遠鏡を復元してでも表現して欲しいのではあるが、現代の日本時代劇の制作側のレベルではかなりチンケなものになりそうである。

江戸初期を描くならば、竹管を用いた様な原始的な日本製望遠鏡を復元して出せばよい。そして江戸中期以降は正に華麗なる和紙と漆製の真の和製望遠鏡「遠目金」を登場させるべきであるが、どういう訳か登場しない。全く素朴な装飾無しの見すぼらしい筒型望遠鏡ばかりが登場するのは何故だろう?

金箔唐草文様の華麗なスタイルのものが多いが、贅を尽くした蒔絵装飾の「遠目金」も登場しており、殿様階級であるならば高級品「遠目金」を登場させるべきである。


江戸後期は変形「遠目金」

現代の時代劇のいい加減さの一つとして、江戸期三百年を余りに平板的に扱いすぎる事がある。江戸後期には和製望遠鏡においては色々な面白変形遠目金が現れてきた。

残念ながら光学理論や技術の発達は西洋にかなり遅れたが、装飾と日本的変形は中々面白いものがある。「印籠遠目金」「根付遠目金」「脇指遠目金」等の出現がないのは不思議である。これらは骨董品の本歌も割合残っており、時代劇小道具美術係に復元して登場させてほしいと思うが何故にそれが出来ないのだろう?

映画等は勿論、時代劇小説でも登場を読んだ事はない。そもそも近年の時代小説等余りにも劣等すぎて殆ど読む機会もないが、何か例外もあるだろうか?